本日 4 人 - 昨日 9 人 - 累計 13667 人

真の都市の時代へ 2/2

  1. HOME >
  2. 目次1 これからの日本 >
  3. 真の都市の時代へ 2/2
3 持続可能な経済の構築を
3-1 財政逼迫と勤労世代の減少
    今、国だけでも1,000兆円になろうとする負債を抱えるなか、その借金を、いや主な納税者でもあり、二人の親から一人しか次世代が生まれない、その次世代の勤労者がどんどん減っていく。法人税、所得税、固定資産税、相続税などがどんどん減っていく。その借金を、彼ら勤労者や企業が背負っていけるのだろうかとはなはだ心配になる。国内からだんだん減っていく勤労世代や企業だから、それぞれの負債割合は極めて増大していくことになる。そのうえ所得税、固定資産税などはじから税収が先細りするなか、福祉年金医療などの財政負担も急速に増えていくのである。消費税も15%以上になるといわれる。このままではこの国が立ち行かなくなるのではと不安になる。図1と2を使って、1,000兆円の債務残高を国民の背負っている借金と考えると、赤ちゃんから高齢者まで一人当たり800万円だ。高齢者の納税する分は福祉や医療に消えていくため、全て15歳から65歳の人たちが負担するとして概算すると、なんと1人当たり1,200万円にもなってしまう。勤労世代、私たちや次には子供たちのことだが、その人たちがどんどん減りながら、公的年金医療福祉のコストが大きい高齢者はこれから先ずっと増え続けるのだ。現在、勤労者の4人に1人は年収が200万円に届かないという状態で、かつそれらの勤労者がどんどん減っているのである。年金問題もそうだが、若者やこれから生まれてくる子供たちに、ものすごいつけを背負わせていることになる。日本の先行きがどうしようもなく心配だ。
そうはいっても、生まれてくる将来世代の声も代弁しながらの湧き上がる国民の声を国や自治体に届けられれば、そして私たちも自分たちのこととして参画すれば、素晴らしい共生の福祉国家はまだまだ可能だと思う。

3-2 大事な話しは、持続可能な社会づくり
    30年、50年と続く少子高齢化・人口減少社会にあって、とにかくこれからすごく重要な話しは、将来世代が重く担うことになる、私たちが作ってしまった1,000兆円に上る国債等をいかに小さくし、持続可能な経済社会を構築することだ。子供を生み未来を託す母親、父親たちも、いまの若者から高齢者まで皆が安心できる年金制度そして経済社会の再構築が必要だ。そして、これらのためもあるが自分たちが要介護にならず、いつまでも社会参加しながら、ずっと自分が自分の人生の主人公でいられるためにすべきことを、高齢者予備軍の子供から大人まで全員が考え、実践していかなくてはならないということだ。
高齢者はもちろん子供もその親世代でも、時間のある人はソーシャルビジネスや地域を支えるコミュニテイビジネス、ボランティアに関わり、社会に参画し、人にサービスし、喜ばれることでこちらも力をもらいながら社会を支えていくという「国づくり、まちづくり」が必要だ。そんな時代の必然性が見える。そういう社会やまちづくり、生活づくりを、官学財民上げて作っていかなくてはならない。


4 人口の流動化と都市消滅の時代
4-1 都市消滅の時代
    人口が減少するなか郊外の地価は底なしに、また同じような早さで都市内でも10年、30年、50年と下がり続ける。それなら早く売った方が得ということになる。20年も持っていたら、買い手がいなくなってしまうからだ。
    そんな動きがまもなくマスコミをにぎわし始めるだろう。大都市に出た子供が帰ってくる見込みは皆無といった限界市町村はじめ、その他の市町村の郊外でも、目だって起こり始めるはずだ。その波が引いた後の市街地周辺は、農地にも戻せない放棄された廃屋と荒地が続いている。当面ずっとそんな動きが続いていきそうだ。小さな宅地に異なる所有権と煩雑な相続権がついている深刻な問題エリアが広がっていくのだ。そんなふうになり始めた町に住んでいる人の不動産価値はほとんどなくなっている。買い手が現れないからだ。
   生き残れそうな都市の中心商店街でもその多くは衰退しているわけだが、古きよき時代を知っている高齢の商店主と、現在の寂れた通りで新規開店したい若者と価格が折り合うことはまれだ。極めて強力なまちづくり会社を本気でつくり、まちのトータルな運営をこれまた超強力に進めないことには、中心商店街はもちろん都市全体についてもこの10年、15年で決定的な答えが出てくるだろう。

-1 生き残れるか、それとも死か ・・・・ 淘汰される都市
     将来を見据えた企業の国内投資先は、将来にわたってそこに良質な労働力があり、企業の研究開発スタッフやその家族なども住む気になる都市を選ぶだろう。大学や高度の医療機関があり、中心市街地が魅力的な都市が選ばれるだろう。若者たちにとって多様な雇用先があり居を構えたくなる魅力的な都市でないと、少子高齢化人口減少の波をまともに受け続け、急速に衰退していくはずだからだ。生き残れそうな都市も、そうでない都市もそれぞれ短期、中期に向けどこへどのくらい投資をすべきか、あるいはすべきでないかをそろそろ決断しなくてはならない。

-2 本気で生きたいか 生きられるのか
     一般的な都市や町・村の多くが、今述べてきたようなまちとして生き残り戦略を本当に描けるのか。あるいは緑なす大地の中の魅力的な農業・観光小都市など、例外的に生き残りが図れるのか。できる、やるというのなら、行政はもちろん関係団体、市民など総参加で、具体的、可視的に夢を描き、皆で動き出すべきときだ。
早急にビジョンを描いて具体に動き出さないと、それまでの多くの公共投資が無駄になるとか、税収がどんどん目減りしていくなか、資力も熱意も最後のチャンスも失い、成り行きに任せる愚に陥ってしまう【2,030年問題】。

4-2 都市選択の時代 人口移動の始まり
-1 流動化する勤労世代
    (1) 親と子の独立 ‥ 家族介護と相続の衰退
      今までの高齢者は、子供たちに財産を残す代わりに老後の世話をしてほしいという世代だった。しかし、いつの間にか老後は自分たちでやっていこうという親世代が一般的になった。
その理由としては、
・ 介護保険等の公的福祉が充実した
・ 子供たちは別に世帯を構えている
・ 子供世代とのカルチャーギャップが増大した
・ 子供たちに介護をさせることはかわいそう。そう思いながら気兼ねして生きるのも重苦しいという思い
・ そして、これからも相当元気で楽しい老後を作っていきたいという思いだろう。
      子供にとってこれらのことは、両親や両親の住む町に職を探すといった拘束からの開放を意味している。
また高度情報化社会は、情報、物流はもちろん人の移動コストも小さくなるモビリティ(移動性)の高い社会でもある。暮らしている都市や土地そして会社への定着度が弱まる。その動きを真っ先に示すのは若者世代だ。彼らの多くは都市型ライフスタイルを好み、これはという都市に身軽に移っていけるから、親の持つ限界市町村の土地建物は処分されるか廃れていく。
土地建物を中心とした相続で成り立っていた大家族制度からの完全脱却だ。

   (2)ハイモビリティ社会と流動化する労働者の発生
これからの親世代がコミュニテイビジネスや地域のボランティア活動、サークル活動などに参加したり、自分の資産と年金や公的サービスなどで生活していく自立的な世代となれば、子供たちは親の誕生日とか盆暮れに親元を訪ねて元気な顔を見せ、親の健康を祝えばいいわけだ。アメリカでいえばイースターやクリスマスだ。10年くらいしたら、新しい高齢者世代を中心にそのようになってきていると思う。団塊世代以降の親の結構多くは自分達が稼いだ財産を子供に相続させるなどとはあまり考えていない。そんなこともあり若者世代が、生まれ育ったまちに暮らしている率は相当下がるだろう。
これからの労働者は、仕事へのこだわりはともかく、会社へのこだわりは大したものではなくなる。育ててくれた老親に対する心配とか責任、会社といったしがらみからの開放だ。あのミカンの花咲く温暖なまちに住んでみたいという、そのまちに住み、そして住み続けることも、また引っ越すこともできるようになる。自分のふるさとでも、今住んでいるまちでも、気に入った仕事が見つからない場合、またはつまらない都市の場合、気に入った所に移っていけるだけの流動性を手に入れるわけだ。独身や事実婚、子供一人かDINKS(共稼ぎ子供なし世帯)といった共稼ぎ世代だから、どこに住んでもそれなりに生活が可能な社会だ。慎ましくも夢のある時代の到来とも考えられる。
普通は低賃金のため車も持たず、町周辺の自転車で通える範囲にある借家とか賃貸マンション住まいだ。冬は温暖なまちの友人のところに転がり込み、そちらでコミュニテイビジネスの手伝い。夏は清涼な信州の仲間のところにその仲間夫婦が共同生活しようと移って来るとか、慎ましやかな賃金生活ゆえに可能な二箇所居住のしあいっこだ。そして年二回、盆暮れには親元と同級生もいるふるさとにつながっているのだろう。
      足による投票といった言葉があるが、そのような人たちが長期には相当増えていくだろう。
      また、逆のライフスタイルもある。慎ましくも心温かい家庭で大事に育てられた子供は一人か二人だろうが、彼らが成人しても一人暮らしでは何かあったとき生きていけないから、独身の子供も子供世帯もどちらかの親と住み続け、共に支えあう複数世代家族も増えるだろう。
      ともかく流動性の高い人たちは、大都市での就学とか社会体験、勤務経験等も豊富で、そこでできた友人たちのネットワークも多様なはずだ。ものすごい情報世界を持っているだろう。また彼らの世界はグローバルで、国境を国境と思わない人種でもある。仲間は外国人を含め、世界にいるだろう。彼らの流動性とネットワーク力は限りないものだ。
      彼らは有期雇用であろうと、コミニティビジネスも含め各種企業が大変ほしい人材でもあり、彼らの影響力は相当高まると思われる。

-2 高齢者の大移動
     今住んでいる所が、将来的に自分の子供たちの雇用もなくなっていくと思われる町や市、子や孫が住み続ける魅力があるとは思えない町や市だとすると、今から10年もしたら自分たちの老後は地域に頼れなくなるかもしれないと心配になってくる。主な納税者でもある企業や民間の福祉施設等は、長期展望に立って経営しているから早め早めに手仕舞っていくだろう。それが、自分たちの土地家屋の資産価値を低下させることにつながっていると気がついたら、早めに財産を処分してまだ元気なうちにまち場に移り、なじんでいこうという考えが出てくるのは自然なことだ。【2030年までに本格的な道筋を】

4-3 受け皿となる都市
そしてサステイナブル(持続可能)なコンパクトシティだ。この言葉を新聞等で見かけるようになったのは、2005年頃からのことだ。行け行けどんどんのバブルの熱がようやく冷めてくるなかで、ついに人口が減少し始め、少子高齢化や税収の超長期減少時代が具体に感じられ始めた頃だ。これからの都市の行方を考えたとき、高齢化先進国のヨーロッパにそのモデルとなるわかりやすい概念を見つけたといったものだ。
数百年にもわたって生きてきた町は、歩行中心だからヒューマンスケールといった人間的な尺度で、規模的には2km四方くらいのものだ。膨張した今の地方都市においては、そのエリアが衰退の極みにある。そして、今後も周辺の業務地や住宅地も含め、空き家や空きビル、空き地が増えていく。しかし今から10年もする頃には、限界市町村のレールに乗った所の人たちが引っ越して来る動きが顕在化しはじめるだろう。団塊世代は、まだ足腰のしっかりしたうちに移り住んで来ると思う。


5 人間復興、真の都市の時代へ
ここからは、今までの都市の病理をふり返ってから、今後作っていくべき都市生活について考えてみたい。

5-1 近、現代都市は、人間疎外を作ってきた
 ・・・・ お金を稼ぐ場としての都市の時代
19世紀、20世紀の都市は、企業にとっても労働者にとっても、お金を稼ぐ場としての都市だったともいえる。物の豊かさが幸せの証だと一生懸命お金を稼ぐことに専念し、近代的な生活を手に入れてきた。都市はそのステージとして存在していたと思うのだが、これからは皆が幸せに暮らすために都市があるといった、そんな捉え方のできる時代が到来するだろう。
    

    健全な家庭が成り立たない雇用環境
    次には1991年に始まるバブル崩壊とリストラ、そこへ海外から高度情報化とグローバル化の波が一気に押し寄せ、正社員は短期雇用で低賃金の非正規社員に置き換えられた。残った正社員の仕事の量や責任は、いっそうきつくなったが給料は追いつかない。残った正規社員は非正規の人たちを管理する責任もあるため、仕事は熾烈だ。グローバル化の影響だ。かつての共産圏や後進国の労働者など、日本の何十分の一といった低賃金国に日本人の賃金が引き寄せられる時代に入ってしまった。

家庭生活の希薄化
   高度経済成長期以降、人々がより多くの収入を求めるなか、夫はサラリーマン、妻は専業主婦で、「亭主元気で留守がいい」などといわれる極端な時代が始まった。次には子供から手が離れた主婦が、もっとお金がほしいと外に働きに出る。そのお金で子供を塾にやるとか、疲れて帰ってきて料理する時間もなく夕食をレトルトもので済ますなどといったことで、両親も子供もだんだん疲れ、一番大切な家庭の温もりがなくなっていくわけだ。レトルトものを作る人、運ぶ人、売る人、食べる家族、分業だ。過度の分業は人間疎外を引き起こす。親子のつながりが、家庭の温もりを醸し出す家事や手伝い、団欒の時間までがお金を稼ぐための犠牲になってきた。

    深刻な社会問題の発生
一億総猪突猛進だ。このようにして、青少年が校内暴力・いじめ・登校拒否・引きこもりから家庭内暴力、そしてニートに仕上がっていくとか、サラリーマンの自殺率が高じて男性の平均寿命も短くなった。また大企業から天下の老舗まで、国民をだませると思う限りはだましてでももうけるというように、個人も家庭も会社も社会もすさんできた、その極端にまで走ってきた国が日本であり、旧共産主義圏を除けば、自殺率世界一の国でもある。
戦後、日本人の培ってきた和の心とか温もりのある伝統的生活文化を忘れ、歴史が新しく世界一の多民族国家であるアメリカだから発生しえた極めて合理的、近代的な経済社会の表面だけを真似てきたゆえんだ。それが戦後日本の近代化であり、これら多くの社会病理の原因であろう。

5-2 慎ましやかでも、人間味ある都市の時代へ
以上が、日本が追い求めてきた豊かさの結果なのだ。これからの日本の歩むべき道は、古き良き時代を再評価し、本当の豊かさを実現する方向に切り替えなくてはならない。それを実現していかない限り出生率は向上しないし、このままでは優勝劣敗の極端な格差社会がいっそう広がり、今以上に深刻な社会問題が蔓延していくだろう。
  しかし、生活は厳しくなるはずだ。企業は、有期雇用、低賃金を中心に据えているし、その会社もいつつぶれるか、いつこちらがリストラされるかもわからないのだから。
    だから適当に会社と付き合いながら、自分たちの生活をしっかりさせておかないとワリをこうむるとか、次の就職に向けて夫婦が代わる代わるに資格を取るなどして、自分たちの商品価値を高めておくとか、ともかく会社からは一歩引いた人たちが普通になるのは確かだ。子供を高額な塾に行かせる代わりに、勉強も水泳も親が極力教えるようになるだろう。夕飯や皿洗いなどにも子供が率先して参加する家庭が増えるだろう。
今の非正規雇用の人たちは、生活が成り立つような賃金はもらっていない。現在の労働者の4人に1人は年間所得200万円以下しかもらっていない。独身者も夫婦も揃ってそうなら、一生懸命働いても中古車も維持できない。仕事や責任などが不当に厳しかったら、すぐに転職先を見つけよう。
そして、非正規社員にも同一労働同一賃金で社会保険にも原則加入とし、公的再教育制度の充実を図るとか、頑張ろうとする人を支える公的環境整備は重要だ。
雇用形態も含め、現在はライフスタイルも変革期だから、不安定で先が見通しにくいのだが、慎ましくも人間味ある社会に移っていくのではないだろうか。そんな社会を作らなくてはならない。

-1 コミュニテイビジネス~・ソーシャルビジネス
このような非正規雇用でも、やりがいや充実感の得られる仕事にめぐり合えたら、その仕事で正規社員を勝ち取り自己実現を目指してみたいとか、興味あるコミュニテイビジネス等に関わりながら学び、自分たちなりの味付けでまずは小さく起業するといったことが始まるだろう。仲間を誘い、企画書を元にコミュニテイバンクから無利子融資とか各種の公的助成金なども得られるだろう。
様々なコミュニテイビジネスというものが、まちの中に楽しく様々に花開いてくるのだろう。様々な場面で、老若男女皆が多様に参加し、自分たちでまちを、暮らしを、生活を支え合う都市型サービス、顔の見えるヒューマンタッチなコミュニテイビジネスが始まっていくのだろう。収入は少なくても、それなりに生活は成り立つといった程度の地域に役立つ小さなビジネスだ。
そんなわけで、これからの都市というのは慎ましやかに、しかし顔と顔がつながった温かい都市社会になっていくと思う。「人間復興・真の都市の時代」の到来である。

-2 主体的な市民の登場
以上のお話は、「都市の主人公として主体的な市民の登場」とも表現できる。これからの市民は行政に積極的に参画するようになるほか、自分たちでも様々な取り組みを始めるということだ。今後自治体も財政力が落ちていくなか、夕張市の図書館業務の多くを市民がボランティアで始めたように、コミュニテイビジネスを含め、市民の立ち上がりが各地で湧き起こってくるだろう。今まで行政任せだったまちづくりについてもしっかり関わっていきたいなどと、市民の意識は驚くほど高まってきている。全国で話題になる知事選などもその線上にある。

-3 団塊の世代
     団塊の世代以降の人たちが、都市型人間として地域に登場してくる。豊富な社会経験や人生経験と自由な時間を持って、地域の主人公、担い手として入ってくるという意味の登場だ。そうなると市民活動や地域の各種活動も、かっちりした本格的なものになってくる。
     団塊の世代は、田圃の手伝いから大学闘争、核家族、エコノミックアニマル、単身赴任、リストラの悲哀や家庭の崩壊から子供のニート化、両親の看取りまで様々な経験をしてきた世代だ。だから少子高齢化人口減少社会の時代を担っていく主人公、次にはリーダーとして多様な潜在力を有している。
     彼らは会社に忠誠を尽くすモーレツ社員だったために、退職すると何もすることもなく、「ワシも族」「濡れ落ち葉」そして「夫婦不和」の危機に遭遇する。だから、やはり彼らは奥さんとは別に、地域に自分の居場所を見つけざるをえない。

   -4 都市生活を豊かにするコミュニテイビジネス
都市の中の地域社会では、わずかのお金を介した小さなビジネスが多様に生まれてくる。そんな地域社会が重なりながら、核としてのコンパクトシティも形作られていくのだ。理想的な形でこれからのコンパクトシティの魂が生まれてくると思うわけだ。
コミュニテイビジネスは、このまちを良くするために皆に喜んでもらい、自分たちも元気をもらっているという、共感のスモールビジネスだ。仕事に出かけないとさみしい、皆の顔を見ないとさみしいと思う、そしてお客様も含め皆が幸せや感謝の気持ちを抱くビジネスだ。お客さんから「なにかあったら手伝うよ」と言われたり、うちのおばあちゃんも留守番かたがた手伝いに行くといった協力的、仲間的ビジネスだ。登校拒否や引きこもりの、あるいはニートといった今の若者も、そうなる以前あるいはそうなってしまってからでも、軽く参加して、そこで皆に感謝されながら、お小遣いとか給料をもらえるという社会参加、自己形成の場にもなる交歓・交感のビジネスだ。
コミュニテイビジネスが回っていくためには、資力、人材、情報力を兼ね備えた行政の支援は大切だが、その結果として福祉医療関係費は目立って減少するはずだ。

-5 中心商店街の再生 ・・ まちづくりの主人公は市民の中から
中心市街地活性化の核になる部分で、まちづくり会社の必要性がよく言われる。私も同感だが、実はその前段が一番重要なのだ。それはアメリカの実践例にも見てとれる。
私が具体に思うには、まちづくりのビジョンや計画をいろいろ市民、関係団体とか大学、地元の金融機関、地元の心ある皆さんが入って、手づくり発想で一緒に考えるのだ。するとその中からまちづくりの主人公たちとそのネットワークができ、コミュニテイビジネスの動きも生まれてくる。ビジョンや計画とともに、その実現に必要な人材と各種ネットワークなどもできるわけだ。これが本物のまちづくりの始まりだ。計画を手づくりしている過程にこそまちづくりの成否に関わる部分が凝縮しているのだ。
これらの環境作りやサポートに行政は力をいれるべきなのだろう。

-6 中心市街地活性化事業が失敗してきた二つの理由
全国地方都市の衰退が進む中心商店街にあって、その活性化についてはここ30年にわたり様々な取組みがなされてきた。しかし、持続可能な成功事例がほとんど見受けられない理由は次の二つだろう。

(1) 国の補助を得て計画作成をコンサルに丸投げし、事業計画が作られたら、あとは価格のみの競争入札で設計事務所と建設会社を決めるだけ。それから数年すると自動的に竣工式となり、全事業終了という国庫補助事業の繰り返しがベースにあったのだ。物を作って終わりなのだ。本当のまちづくりは、人づくりに始まり常に考えつくられていく営みの中にあるのだが、、、。
やむを得ない事情もわかるのだが、自治体も地元関係者も手づくり発想といった、右往左往しながら皆で作り上げる創造行為には手を出さず、国の示した例を真似てベルトコンベアのように時間軸で事業を進め、モノさえ出来ればいいという姿勢に終始してきた。

(2) そして地元関係者や各種関係団体は、行政に頼りきる方向で協力しているだけだったのだ。

創業社長のような本物の主体者や本気で考え取り組む自治体や関係団体がなかったのだから、その多くはできて二、三年もしないうちから飽きられていくモノづくりになってしまったわけだ。都市がある限り続いていくまちとまちづくりを思い描ける人がいなかったか、いてもそんな面倒なことを言う人は煩わしいと排除してきたということだ。そして今、都市衰退の時代を迎えている。
まちづくりで成功した町は、湯布院、長浜、小布施。皆市民の立ち上がりから始まっている。


6 今世紀半ばから、先の世界を考える

6-1 地球規模の不穏な時代が到来する予感
    地球温暖化による気候変動は、4、50年先から急に強く現れ始め、その時点では既に止めようがないといわれる。それからどのくらい超長期に荒れ続けるのだろうか。炭素税等でどうにか折り合いをつけられる可能性と、間に合わないという二つのケースが考えられる。しかし1か0ではない。どちらにしても、相当の気候変動の世紀になっていくと想定すべきだ。
また、経済、軍事、政治的な権力闘争が世界各地で展開され、人口ボーナス、人口オーナス期といった人口や社会の変動期から人口が安定する水晶型人口ピラミッド(*6-3)に移行するまで、世界における覇権争いは治まらない可能性がある。
また、ここ3、40年の間に大洪水や大旱魃、大飢饉と地域紛争などが世界各地で発生するなど、地球規模の不穏な時代が始まる可能性がある。
    
6-2 日本は恵まれた島国
ここでとても極楽トンボ的な話を一つ。とりあえず国内的には遠い将来に渡って、出生率が上向くとは思えない。これから人口が30年、50年と減っていくことは、これからの地球環境を考えるとうまい適合になっている。あとは、いかにソフトランディングするかだ。
ともかく早急に、国民の皆が末永く現役で社会参画していける、持続可能な共生の福祉社会に向け、50年先を見通した計画を作り、国民上げて共有するなかで、出来ることから手をつけていかなくてはならない・
ただ日本は、阪神大震災が起こっても助け合い、火事場泥棒もなく支援物資が山のように届き、ボランティアが駆けつけた和の国だ。右往左往しながらも悲惨な諸外国のことを心配しながらも、だんだんと小さくなりながら慎ましくも平和なうちに22世紀を迎えられる気がする。経済力や技術力、食糧確保なども含めて、そのような気がする。

6-3 水晶型人口ピラミッド
いつの頃そうなるかはわからないが、最終的に安定した長寿社会が作る人口ピラミッドは水晶型になる。限られた地球環境と共生する、持続可能な人口規模内に落ち着くときの話だ。人口を維持できる出生率2.08が非現実的とすると、どんどん人口は縮んでいって、この人口ピラミッドの大きさは、持続可能な最大値より相当小さなものになるはずだ。
しかしそれは問題ではない。少数の私たちの子孫が、恵み多い豊かな国土と共存できるのだから。この状態では、皆が健康で豊かに暮らし、長寿をまっとうできる社会だ。22世紀中ごろには出来上がるかもしれない。地球規模の重苦しい時代を考えると、そのくらいの時間はかかりそうだ。

6-4 総人口5,000万人
    自然と共生していた江戸末期の日本の人口がおよそ3,500万人ということからすると、持続可能な水晶型人口はせいぜい6、7000万人くらいかと思われる。計画経済ではありないから人口調節が極めて困難とするのなら、ほどよい落しどころがその7割程度5,000万人程度というのは考えやすい数字だ。大自然もあり緑豊かな国のコンパクトシティとその周辺に住んでいるのであろう。

6-5 外国人の導入による日本人意識の改善
    労働力としての外国人の導入などが話題になるが、徐々にとはいえ将来的には人口比10%くらいの外国人は受け入れてもいいのではないだろうか。
私は、労働力確保とは別の視点から考えている。グローバルな世界にあって様々な国の出身者と積極的に共生すれば、彼らの家族や友人もいる諸外国の人たちとも草の根レベルの交流が広がり、島国日本の草の根市民の国際性も格段に高まる。
世界では一般的な国際性について、タジキスタンを例に考えてみよう。その南にはアフガニスタン、東に中国、北にキルギス、西にウズベキスタンと国境を接し、国は違っても普通に姻戚関係者が住み続けているなど、同胞意識や先祖伝来の領土イメージで重なっている人たちが普通という、これが国際感覚の原点であり世界の常識であろう。我々がイメージする「国際感覚」とは、まったく異なっている。
彼らが日本に住んでくれることで、我々も家族付き合いから、彼らの祖国の友人知人たちとも親しくなるなか、本物の「国際感覚」を学び、本物の「国際国家」になれる。
~~~~ ~~~~ ~~~~ ~~~~ ~~~~ ~~~~
しかし、選択肢はもう一つある。世界八大文明の一つといわれる日本文明は、それだけの特異性を持っているのであり、いい部分も中和されるとか、世や人心が乱れると思えるときは、凛とした日本文明圏を維持すべきである。しかし、議論を避け和合や裏で談合する文化からは脱皮しなければならない。食品を中心とした大小企業の見苦しい行いの発覚や、国民を忘れて政党間の利害損得に翻弄されている国政を見ても明らかだ。
~~~~ ~~~~ ~~~~ ~~~~ ~~~~ ~~~~
    日本には、「出る釘は打たれる」「和をもって尊しとなす」「もの言えば唇寒し」といった金言からもわかるように、島国の農耕民族が主だったゆえに、集団内で和合する根深い風土がある。その和合気質が、政治経済社会の様々な問題の影の部分になっている。議論を形だけのものに抑えて、談合するのである。だから一番の答えを出すための議論は下手、戦後の国の国際交渉は、極めて腰砕けのものだったはずである。台湾・北朝鮮・中国とアメリカとの交渉をみればわかる。国際政治に置いて、和合の美徳は不要だ。

農業革命・工業革命にもまして大きなグローバル革命が始まっているが、諸外国と対等にやっていくためには、積極的に優れた外国人を導入し、これにより日本人の意識改革を大いに進めなくてはならない。
~~~~ ~~~~ ~~~~ ~~~~ ~~~~ ~~~~
グローバルな経済競争が始まり、日本の企業は国外に展開しなければ生き残れない時代となり、多くの雇用が流出してしまった。この傾向は今後いっそう続くだろう。
産業にはグローバルな産業と内需型産業の二つあるが、海外に出たくない人たちの雇用を内需型産業が吸収できるのか、あるいはグローバル企業に雇用されるための勉学のシステムを作るのかなどを考えなくてはならない。

6-6 猿の惑星
地球にとって、機械工業を手にした人間は増殖に増殖をかさね、地球を食い尽くしていく存在だった。化石エネルギーの枯渇と地球温暖化に伴う気候変動は、地球の悲鳴といえよう。
    今30歳の若者が90歳のときは2070年、その若者から間もなく生まれるであろう子供たち、すなわち団塊世代の孫たちが90歳になるときは2100年を越える計算になる。すぐそこに22世紀が来ているのだ。空恐ろしい話だ。
「猿の惑星」、これは第三次世界大戦、核戦争後の地球が舞台だった。私には、情報化・グローバル化、地球温暖化から想像するに、この映画を想起させるような時代に向かっていくように思えてならない。様々な混乱と紛争の時代を経て、常態化する気候変動を耐え忍びながら、限られた条件のもと限られた人類が秩序あるサステイナブルな生活を余儀なくされていくというものだ。そこに至る混乱の時代が怖い。


7 生活様式の変化は、世代交代と共に伴って
ところで、私たちが将来の都市生活を考えることには大きな困難がある。私たちが親の世代の価値観や生活パターンを古いものにしてきたように、今の子供や孫たちは全く新しい生活スタイルを作るはずだ。その先まで様々に推測しているわけだから誤差は相当大きいかもしれない。
   私が述べたような推測に基づいて作った将来イメージは、一面的な予測に過ぎないかもしれない。しかしたたき台がなくては先に進めないのだ。それを批判的に再構築していく、その都度見直していくのなら、遠い将来に向けたぶれの少ない都市、地方、国土計画に広がっていくはずだ。
   「孤独なボーリング」という、社会学では世界的に話題になっている本がある。その著者によると、成人はその育ってきた環境が強く刷り込まれていて、時代の大きな変化に対応することはとても難しいそうだ。情報革命とかグローバル化といった時代を変える大きな波が少しづつ本物になっていくのは、カレンダーを架け替えるように1年、1年と新しい世代が台頭してくる。この時間の流れの中で本格化するのだ。
だから、将来予測は鳥の目というよりも高度2万メートルのジェット機からの視点と生活者の視点を中心にミクロ、マクロと多面的に考え反芻しながら作るべきものだ。今の小中学生、そしてこれから生まれてくる新人類が社会の中核となり、だんだん大勢を占めていく、私たちの子供や孫たちがもうすぐ天国という時代とそこまでの社会変化などについて多面的に考え、批判的に反芻しながら作っていかなくてはならない。


8 無責任な現代人
ここで大変重い問題は、地球環境問題と同じく国債や年金問題などを末永く子孫たちに押しつけて、原因者の私たちは天寿を全うしていくという矛盾だ。こんな無責任極まりないことが許されていいのだろうか。
それでも愛する子供たち、孫たちの幸せを真に願いながら天寿をまっとうしたいと思うなら、私たちにできること、すべきことはたくさん残されている。そしてそれは、これからの国のあり方や世界のあり方を考えるといったことでもある。


9 責任の所在と責任が発生した理由、これからすべきこと
ここで、具体に考えてみなくてはならないことがある。これから同じ轍をふまないために、今ふれてきたような様々な問題に対して、なぜそうなってしまったか、その責任はどこにあったのか。そして、これからどうしたらいいのかを考えてみなくてはならない。

9-1 責任のありか
大きくは国連と先進国、先進国内では政府、自治体、議会、専門家、そして問題提起セクターとして国民に一番近いジャーナリストやマスコミの責任が大きいといえよう。そして最後に、民主主義国家における国民一人一人の責任といえる。

9-2 問題への対応が進まない構造的原因
しかし、なぜその立場たちばの人たちが誰も充分な責任を果たせなかったのだろう。次のことが考えられる。
ア 私は、使命感や責任感をもって動き出すべき立場にはない。頼まれもしないのに、私から声を上げるほど暇ではない。
イ 私が火付け人になったとしても、どうせ周囲に疎んじられる程度で動いていくはずがない。
ウ そのうち、誰かが声を上げるだろう。
エ 皆がゆで蛙になるのなら、それも甘受しよう。
つまるところ、人の心の中に原因があるのだろう。広く社会に関わるとか、漠としている、難しいといった課題については、皆が当事者でありながら誰もが傍観者の立場に流れることがあまりにも多い。
これは日本人である私の極めて個人的な深読みだ。個々人の自律性を重視する欧米人の場合をひいき的に考えるのなら、大きなテーマに組織を挙げて取り組んでいくリーダーがたまたまいなかったという不幸かもしれない。ローマクラブが環境や地球の限界について警告を発したのにもかかわらず、残念なことに時代の興味は経済優先で、社会の声も高まらなかったため、関係者やマスコミなどのやる気に火がつかなかったこともあるだろう。


9-3 ジャーナリストとマスコミ・教育・選挙制度の力 
一般的に、組織と組織に組み込まれた人たちには限界がある。組織は組織の利害でしか動かず、組織に組み込まれた人間はえてして弱い存在であり、組織に疎んじられない範囲でしか働こうとしないからだ。
しかし、組織に属していても、優れたジャーナリストは個の価値観で動いている人たちだ。そして世界中にそんなジャーナリストが埋め込まれ、散らばっているのだろう。動き出し始めたら、直ぐに連携が図れる潜在的な仲間世界なのだ。ピューリツァ-賞は、そんな彼らを応援している。
世界の草の根市民が、彼らを現場に招き、情報提供し、彼らとともに立ち上がるのだ。ロシア革命のときもそうだった。共産圏が崩壊したときも、特定の地域で動き始めた人民の様子、それに取材するジャーナリスト、マスコミの声に他地域の人民も動き始めたのだ。風は、そのようにして起こるのだろう。
ベトナム戦で命を張ってその悲惨さを世界に伝えたロバート キャパのように、ジャーナリストとしての使命感とプロの意識に燃えるジャーナリストは手を抜かないだろう。そして、一人でも生きていける。目立って突出した彼らを他のマスコミも放ってはおかないからだ。
私は、そんなものすごい信念を持ち気高いプライドと使命感を有し、世界に散りばめられているジャーナリストたち、近い現場、遠い現地、どこへでも直ぐに駆けつけるジャーナリストたち、政治や企業経営の現場から生活の現場、社会の恥部まで、日夜目を凝らし言語化に努めているジャーナリストとマスコミが、自分たちのおかれた位置と潜在能力、使命感に目覚めることに期待している。彼らは、すぐにでも世界中で風を起こせるネットワークやノウハウも持っている。
個々に分断された、草の根市民から社会に風を起すことは困難だ。世界に埋め込まれている優れたジャーナリスト、そしてマスコミの人たちがその理念を想起し、その存在証明の再確認から始まることが、極めて現実的な方法ではないかと思える。

世界中どんな時代でも、どんな地域でも、常に心あるジャーナリストといった人種が生まれ出てくるのが、神の創った人間社会なのだろう。世界のあらゆる所で生まれ出る、特に深刻な現場から命を燃焼させるジャーナリストが出現するのだろう。特にこれからは、高度情報社会である。
ジャーナリストは、いつもあらゆる事象を見据え、それを社会に客観的に伝え、考えさせていくところに存在理由がある。大きな風は、社会とジャーナリストにプッシュされたマスコミから吹き始めるのではないか。

政治家、官僚、専門家、ジャーナリストなどは、情報と大きな影響力を持っているから、彼らにしかできないことだから彼らがすべきといった広義の責任など我々が相互に、また様々に期待するところは大きい。

根源的には人間の問題だから、「長いものには巻かれろ」ではなく、個が確立した人たちを育てる創造的な教育がなされなくてはならない。
そして私たちが、自分の地域で協力できそうな人を探し、草の根運動や選挙を通して政治に積極的に参加することだ。


9-4 大学院大学としての国連大学新生の必要性
   国連大学は、学生を全く輩出しない不思議な大学であるが、これからは高度な専門家を輩出する大学院大学として、世界のため、日本のために新生すべきと考える。
わが国は、今後深刻度を高めていくであろう人種対立、宗教や民族問題も絡む地域紛争などについて歴史的にあまり色がついていない珍しい国だ。またわが国は、「世界第二位の経済大国としての経済力と技術力」、「異教とも融和する民族性」、「自然をいとおしみ、その命をもったいないと思う自然観や宗教観」、そして「万民の平和を希求する憲法」を持つ唯一の国だ。国際的存在感が急速に失われ始めるなか、名誉ある中位国家を模索している国である。
それから、日本が全額出資した国連大学のある国である。平和で幸せな世界を築くためウ.タント元国連事務総長が提案した国連大学の設立構想を実現できる条件を備えている国は、世界広しといえども日本しか考えられない。日本には、これからの人類と地球に対する使命があるといってもいいのではないだろうか。経済大国に上り詰めた日本は、次に名誉ある日本のあり方を模索してもいる。

その理念からほど遠い国連が迫り来る人類の試練に立ち向かうことは、理念を体現した国連大学の発進なくして考えられない。世界の様々な専門家が参集し、そこから優秀な人材が輩出され、世界に散って彼らが実践者、リーダー、専門家となっていくのだ。本格的な取組みが世界各地で始まり、ネットワークが張られ、相互に助け合い、また国連大学へ戻って後輩を育てるのだ。新生国連大学は、人類ある限り世界平和を考える中心であり続けるのだ。
(資料1 国連大学 ウ・タント構想)



ふり返って思うこと
アメリカをはじめとする先進国が工業文明の頂点に達する頃、高度情報化に続いてグローバルな経済成長期に入り始め、実体経済からかけ離れた巨大な投機資金が世界を跋扈している。その先にはインド、中近東、アフリカなど様々な地域における史上二回目の人口爆発が視野に入ってくる。まさにそのときに地球温暖化、化石資源の枯渇と、地球は悲鳴を上げ始めた。
旧約聖書のノアの箱舟やバベルの塔の話とも似ているが、おごり高ぶる先進国とそれに続き始めた国々、そしてこれらに責任のないアフリカをはじめ極度の貧困に苦しんでいる人々、そしてそれら人類の将来世代まで巻き込んで、今から30年、60年後、それからずっと、どれほどの大雨が、日照りが、飢餓が、争いが繰り返されていくのか。人間には、本当はどのくらいの理性があるのだろうか。私は危惧している。
地球という人類の舞台で、日本は世界史上かつてない急速な少子高齢化人口減少社会を迎え、世界第2位の経済大国を降りつつある国。これからの地球レベルの課題に必要な要件や次世代エネルギー、工業はじめ農林水産業の技術力など様々なことに超一流で金もある。国内的にすべきこと、国際的にすべきことと名誉ある国家への道など、私たちが取り組むべきことはたくさんある。しかも一つひとつを具体にみると、それほど難しいものには思われないのだ。

戦後日本は、新大陸アメリカの経済社会の見える部分だけを全てと思い込み追いかけた結果、アメリカに次ぐ経済大国になった。しかしそれは、縄文時代の狩猟採取生活から農耕文化など、血や肉となって現代につながっている私たち日本人の歴史文化や生活文化、そして精神世界の分断と破壊でもあり、それが深刻な社会問題の遠因になったと思う。しかしこれからの都市は、温故知新といったコンパクトシティのコンセプトのもと、共生と生涯現役の福祉社会になっていくと期待している。

終わりに際し、やっぱり思うのだが「50年、100年先もイメージしなくては、各種の妥当な長期ビジョンも作れない」のだと思う。
このレポートは、そんな私からの訴えだ。ご意見、ご提言など頂けたら幸いである。
2009年2月7日

(資料1) 国連大学 ウ・タント構想
『国際的教育・研究機関のネットワーク ― 国連大学の意義と現状を通して』
(相良憲昭著、国連大学広報部、1995年から抜粋)

ウ・タント構想
 1969年9月15日、当時のウ・タント国連事務総長は第24回国連総会への年次報告の冒頭で、国連大学設置の構想を明らかにした。彼は「真に国際的な性格を有し、国連憲章が定める平和と進歩のための諸目的に合致し」、「多くの国々から集まった教授陣と、多くの国々からの、また異なった文化的背景をもつ若い男女の学生からなる」大学において、「学生たちは国際的な雰囲気のなかで共に暮らし、学ぶことによって、互いに一層理解しあえる」と考えたのである。そしてウ・タント氏はその大学が、「寛容の精神と思想の自由について、定評のある国に設置されなければならない」とも述べた。
 上の言葉からもわかるように、ウ・タント氏が提唱した大学はキャンパスをもち、教授陣や学生たちからなる、伝統的な姿の大学以外のなにものでもなかった。このためにウ・タント構想に対して、国連の内外に少なからぬ反対の声が挙がった。とくに先進国の政府は、国連が新たな機関を設けることによって自国が負担すべき分担金や拠出金の額が増大することを憂い、また自国における主要大学が他国からの留学生を多く受け入れており、すでに十分に国際的な性格を有しているという理由のもとに、国連大学の設立に難色を示したのである。
 一方、発展途上国の多くはウ・タント構想をおおむね肯定的に受け入れた。その理由は、一つには1960年代の「第一次開発10年計画」以来、国連の諸活動が途上国援助に大きく傾斜した結果、途上国における国連の評価が先進国と比べて相対的に高かったこと、二つには国連大学が自国の学術水準の向上に大きく益することになろうとの期待が大きかったことが挙げられよう。
 数年にわたる国連とユネスコによる準備期間を経て、1973年12月に国連総会は国連大学憲章を採択した。憲章採択によって正式に設立が決定した国連大学は、「研究、大学院レベルの研修および知識の普及に携わる、学者・研究者の国際共同体」(国連大学憲章第1条1)であり、その機能は「企画および調整のための中枢機構ならびに先進国および開発途上国における研究・研修センターおよび研究研修プログラムのネットワークを通して」(同)果たされることになったのである。
 キャンパスも教授陣も、また学生ももたない国連大学の活動は、「国際連合およびその専門機関が関心を寄せる、人類の存続、発展および福祉にかかわる緊急かつ世界的な問題の研究」(国連大学憲章1条2)であり、その意味では教育機関というよりは、むしろ学術研究機関としても色彩が濃厚なものとなった。

日本の熱意
 ウ・タント氏による国連大学構想にいち早く関心を示したのが日本政府であった。国連大学構想を先進諸国がこぞって否定的ないしは冷淡に迎えたなかで、日本が積極的に反応したのにはいくつかの理由が考えられる。
 第一に、高等教育を取り巻く当時の日本社会の環境変化である。1960年代後半に世界の主要国を舞台に吹き荒れた大学紛争は、わが国においても例外ではなかった。むしろベトナム反戦運動と結びついたアメリカや、労働者や一般市民まで巻き込んで「五月革命」とまで呼ばれたフランスにおける大学紛争に比肩しうるほどの激しさであった。この大学紛争を引き起こした原因の一つは、当時の日本の大学が伝統的な習慣や制度に過度に拘束され、社会の構造的変化に十分に対応できていなかったことが挙げられよう。とくに、高等教育の大衆化という社会的要請に応える体制が整っていなかったことを指摘しなければならない。
 当時の日本の大学に欠如していたもう一点は国際性である。パリ、ボローニャ、オックスフォードなどヨーロッパの伝統的な大学は、その創設以来きわめて国際性が高く、各国の学生たちは文字どおりきゅう笈(きゅう)を負ってヨーロッパ中を移動しながら、学問にいそしんだ。そのような伝統を長く有するヨーロッパの大学や、ヨーロッパの伝統を継承したアメリカの大学では、今日でも教授や学生が学問のために国境を越えて移動することが当たり前となっているが、日本の大学はといえばその地理的、言語的、文化的、制度的諸状況のためにきわめて閉鎖的に発展してきており、国際性が乏しいといわざるをえなかった。1970年に訪日したOECDの教育調査団が日本の大学の閉鎖性を鋭く指摘し、世界参加のための大学教育を呼びかけたことは、教育関係者の間でいまだ記憶に新しいところである。国連が独自の大学を設立する構想をもったとき、日本の政府内部や教育界において、その大学を日本に誘致することによって現代社会における理想的な大学のあり方を模索するよい機会になるだろうとの期待がもたれたであろうことは想像するに難くない。
 日本が国連大学構想に積極的に応じたもう一つの理由として、そのころようやく日本人が第2次世界大戦の破壊と、それに続く窮乏から完全に回復したとの認識を持ちえたことが挙げられよう。来日したウ・タント事務総長に国連大学構想実現への積極的協力を約束したのが、「もはや戦後ではない」と宣言した佐藤栄作首相だった。佐藤総理大臣はまた国連中心外交の提唱者でもあった。戦後経済の復興を果たした後、国連の枠組みを利用して国際社会に応分の貢献をするためには、国連機関の本部を誘致することが国益に合致するとの認識を当時の政府が抱いたこともまた当然であったといって過言ではない。
 かくして、日本政府は国連に対して、国連大学の設立とその後の運営のために設けられる国連大学基金に1億ドルを拠出すること、首都圏に恒久的本部施設を無償で供与することなどを確約し、1975年に国連大学暫定本部が東京に設置される運びとなった。
        UN Secretary-General's report on the work of UNU, 2004