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真の都市の時代へ 1/2

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                           2009.02.07
人間復興・真の都市の時代へ

少子高齢化、人口減少化の2050年、その先に向けて都市社会を考える。
これら目に見える具体イメージなくしてどんな計画が立てられるというのか。
 

目  次

はじめに                          
1 都市の本質              
1-1 都市の発生        
  -1 市と町の発生 
   -2 都の発生
1-2 日米欧のコンパクトシテイイメージ ・・半径500mの町 
  -1 ヨーロッパ中世城郭都市                  
  -2 西部劇の町 
  -3 かつての日本の町   
1-3 中心商店街の重要性 
         ‥都市観光とショッピング、賑わいと商人と
1-4 都市の本質は、分業による共生社会              
1-5 古きよき町社会が失われた四つの原因 
  -1 世代交代の連鎖が切れた
  -2 モータリゼーション                    
  -3 土地へのこだわり ‥こだわりの中高年と街なかの空洞化 
  -4 都市や農地のコントロールができなかった

2 将来推計人口に見る地方都市の行方             
2-1 不確定要素の多い将来像
2-2 2055年に向けた将来推計人口 
  -1 人口三区分別人口推移
  -2 人口ピラミッド                     
  -3 産学官民全員参加で、まちづくりの実践を
2-3 主な経済面から考える   
  -1 土木建設関連業界 冬の時代   
  -2 国内市場の縮小と地場企業の海外展開            
  -3 農業の将来イメージ
   (1) 大規模集約型農業と小規模2.5次農業
   (2) 将来最も親しい国の一つである中国と共生する      

3 持続可能な経済の構築を
3-1 財政逼迫と勤労世代の減少 
3-2 大事な話しは、持続可能な社会づくり          

4 人口の流動化と都市消滅の時代
4-1 都市消滅の時代
  -1 生き残れるか、それとも死か ・・淘汰される都市       
  -2 本気で生きたいか 生きられるのか
4-2 都市選択の時代 人口移動の始まり 
  -1 流動化する勤労世代 
   (1) 親と子の独立 ‥ 家族介護と相続の衰退
   (2) ハイモビリティ社会と流動化する労働者の発生
  -2 高齢者の大移動 
4-3 受け皿となる都市

5 人間復興、真の都市の時代へ
5-1 近、現代都市は、人間疎外を作ってきた
       ‥ お金を稼ぐ場としての都市の時代
  -1 健全な家庭が成り立たない雇用環境
  -2 擬似家族・擬似家庭の蔓延
    -3 深刻な社会問題の発生
5-2 慎ましやかでも、人間味ある都市の時代へ
    -1 コミュニテイビジネス
    -2 主体的な市民の登場 
    -3 団塊の世代 
  -4 都市生活を豊かにするコミュニテイビジネス
    -5 中心商店街の再生
             ・・ まちづくりの主人公は市民の中から
    -6 中心市街地活性化事業が失敗してきた二つの理由

6 今世紀半ばから、先の世界を考える
6-1 緑なす大地と水晶型人口ピラミッド
6-2 日本は恵まれた島国 
6-3 水晶型人口ピラミッド  
6-4 総人口5000万人
6-5 外国人の導入による日本人意識の改善
6-6 猿の惑星

7 生活様式の変化は、世代交代に伴って 

8 無責任な現代人

9 責任の所在と責任が発生した理由、これからすべきこと
9-1 責任のありか 
9-2 問題への対応が進まない構造的原因
9-3 ジャーナリストとマスコミ・教育・選挙制度の力 
9-4 国連大学新生の必要性 

    振り返って思うこと
  資料1 国連大学 ウ・タント構想
  別資料 日本の将来推計人口



~~~~ 本文 ~~~~ ~~~~ ~~~~ ~~~~ ~~~~

はじめに 
昭和40年代中頃から、結婚を機に若者は生まれ育った街なかから周辺部のアパート等に移り、その後郊外に家を建てる流れが続いている。当時50歳代くらいだった親世代は、老親もいる街なかに残った。それから30年が経過し、団塊世代の親たちが80歳の大台をすぎ、街なかから退出している。世代交代がうまく進まないため、シャッター通り商店街、空家、空き地、そして高齢者ばかり多いまちといった一方通行の流れが全国に出現した。都市は私たちの生活の場だが、少子高齢化・人口減少社会に入った今日、都市は求心性の核である中心市街地をはじめ、衰退の度を強めている。
原因は、一般的にはモータリゼーションにあるといわれているが、以上の理由によりこのとらえ方は一面的なことがわかる。また、これからの都市イメージとしては車社会に依存して拡大しすぎた都市を再構成し、公共交通と徒歩を中心としたコンパクトシティといわれる。化石資源枯渇問題や地球温暖化対応でもあるが、まだ概念が中心の段階である。
2010年には、国や地方の負債が1,000兆円に近づくほどの巨大な負債を抱えることになった。この先日本がどうなるのかと心配でならない。そこで、私たちの生活の場である都市とそこでの暮らしについて本来あるべき姿を考え、将来の町や生活のあり方を考えてみた。


1 都市の本質
まずは都市の本質を確認したのち、これから私たちが作っていくべき都市の生活を考えてみよう。
ヨーロッパの中世都市には、封建領主の権力から開放されたい、自分たちのことは自分たちで決めたいという自治の空気が生まれた。それゆえ、都市壁の中に逃げ込んだ者は、満一年も経過すれば前身のいかんに関わりなく、市民として認められた。古い諺に「都市の空気は自由にする」がある*1。
交易が盛んになるにしたがって、商人を中心に中産階級・市民階級が台頭し、封建領主から権利を買い取るとか、時代を変えていく遠大な営みが展開され、19世紀の市民革命により民主主義、自由主義を勝ち取ることになった。

また都市とは、社会性の動物である人間が集住し、そこでの生活の積み重ねとして形作られてきたものでもある。そして都市とは人間が分業しながら住んでいる所であり、相互に依存しながら初めて生活が成り立っている。
都市は市民の生活の舞台であり、目に見えたり見えなかったりする活動の総体を入れた風呂敷のように、目に見える外形が都市ともいえる。だから都市の実体を深掘りするということは、都市生活とその場面を考えるということになる。
まずは、かつての生き生きとした「まち」について見ていこう。
                      *1 肉食の思想p130 
1-1 都市の発生
中近東で起こった農業文明の萌芽期のことだ。農村集落にだんだんと蓄積されていく麦は長期保存可能な余剰農作物であり、富める者と貧しい者、次には地主と小作を生み出した。そして、余剰農産物は農業以外の仕事に従事する人々の発生を可能にした。
遊牧民による隊商がオアシスをつないで交易路を作り、街道沿いの地の利のいい農村集落に市が立ち、それが毎日市の立つ町になり、隊商宿もできるなど都市の形態をなしていった。
小さな隊商都市が勢力を伸ばして都市国家といった形になるとか、都市どうしの戦さの後、複数の都市を含んだ国家の体裁が出来てくる。その中でも都とは、王が住んでいるとか国の政を行っている都市のことだ。国の支配者は、国を守るための兵隊と国を治めるための官僚組織を作り、また政を行い豊作や戦さの勝利を祈り占うための神殿を作った。
すべからく都市は、その発生当初から余剰農産物と様々な地域を結ぶ交易に支えられた分業社会だったのだ。

1-2 日米欧コンパクトシティのイメージ ・・ 半径500mの町
全国で中心商店街の衰退が進んでいるが、今後長く続く少子高齢化人口減少社会にあって、都市は衰退と淘汰の時代を迎えている。そこで生き残れた中小の都市のあり方としては、コンパクトシティといわれている。そのイメージは、郷愁ただよう昔の街並み、古き良きまちにありそうだ。

-1 ヨーロッパの中世城郭都市
町を城壁で囲み、お百姓さんもそこから外の畑へ通うのだ。ヨーロッパは長きにわたって城壁内に高密度で住むしか安全を守るすべのない社会だったのである。日本人には想像もできないような悲惨な戦いが何百年もの間、繰り返されてきたのだ。
都市域を拡張することが極めて困難なコンパクトシティであり、必要なことのほとんどは数百メートルの範囲で用が足りた。城壁の外は農牧地その向こうは森という風景がコンパクトシティには似合う。

-2 西部劇の町
かつて西部劇映画全盛の時代があった。アメリカ西部開拓期の町にも旅人や来訪者を泊めるホテルがあり、その1階には誰でも立ち寄れるロビーがあった。多くの映画は、このロビーを主な舞台としている。そして建物の並びには理髪店、保安官事務所、食料雑貨店、鍛冶屋などがあり、それらの建物は駅馬車の通る道を挟んでアーケードとペデストリアンデッキ(歩行者専用のデッキ)でつながっているなど、極めて都会的なあでやかさがあった。突き当りには通りに面して、住民が皆で作った教会が立っている。まちの住民と都会からの来訪者、流れ者のガンマンと近郊農民の素朴な暮らしなどが織りなす映画の世界だ。
     

-3 かつての日本の町
昭和40年頃までの中小の地方都市の街なかをイメージすればいいだろう。商店や食堂、映画館、銭湯などがあり、横道には飲み屋その周りは住宅といったまちだ。
歩行が中心だから、せいぜい歩いて20分程度で用が足りる範囲に町は作られている。便利でアットホームなまちだった。  

1-3 中心市街地の重要性 ・・・・ 都市観光とショッピング、賑わいと商人と
都市観光という言葉があるが、それは日常的には観光客よりも広域商圏から集まって来る友人同士や家族客にこそいえることだろう。家族や友達を誘って、たまにはおめかしして地元市民、ビジネス客、観光客、老若男女大勢の人が行き交うまちにドライブかたがた出かけて来る。そして、人の心をワクワクさせる非日常的なあでやかさの中で、新しいモノやコトを楽しむ。その中に飲食やショッピングも含まれているのである。広域商圏人口五十万人は、まちに来街する都市観光客のリピーターと捉えた方がよい。
そこで商いを生業にしている商人やサービス業者は、新しいコト・モノ・おもてなしの支え手だ。彼らの商売が順調で、そして来街者をお客様として喜んで迎えてくれるまちがなくては都市は存在できない。
生き物である都市にとって一番大事なものは、皆が来たくなる求心性だ。この求心性は街なかで行われる祭り、展覧会、シンポジウムや同級会等々の様々な会合、ショッピング、商店街の四季折々の販促イベント、バザール、習い事や発表会など、多様なものが飲食やショッピング、散策など、ついでにたくさんのことをしようとの気持ちが折り重なって構成される。その場所、地域の雰囲気はあでやかで品がいい必要がある。いつもの生活よりワンランクめかしこんで、まちのお品の良さに包まれ、日常の雑事に日々は手が回っていないが、自分も本来はここまで品がいいのだ、品よくできるのだとプレステージをくすぐられることが必要なのだ。
そのためには、中心市街地、商店街、飲食小売サービス業者は、品よく顧客の満足度を満たしてあげる演出者でなくてはならない。「お客様は神様だ」とは、実はこの辺をいうのであろう。
ある集まりに、女性が和服で出かけるとしよう。まず、和服を着ることで、立ち居振る舞い、心持ちまでも凛とする。また、その集まりはそれなりの会のはずだ。会の空気を引き締めてくれる彼女のいでたち、そしてそのあでやかさに紳士淑女が声をかけてくれる。本人も回りの応対も一ランク上がるだろう。そうなると、車で会場を往復するだけでは不完全燃焼だ。自分を引き立ててくれるようなラウンジや喫茶店で時間をつぶし、しばらくまちもひやかそうというものだ。こんなときは気のきいた男か常日頃の友人より、少し構えたくなるような多少距離間のある知人とゆったりと知的な会話を楽しみたいものである。
おめかしすることには、それなりの舞台に上がり、友人知人ほかにそれなりに評価され、評価されることをある程度長い時間楽しみたい、できたら余韻も楽しみたいという期待感がある。まちは、以上のような晴れやかな欲望を満たすものでなくてはならない。
街なかが衰退しているとか、シャッター通り商店街などとなってしまっては、あでやかな舞台と登場者を盛りたててくれる演技者(小売サービス業者)が萎えているということであり、舞台活動も光を失い、都市の光、求心性も消えていく。これは、都市の衰退にほかならない。
 集いの場を設けるには、活発な市民活動やそれを可能とする場が必要であり、支え手としての行政やマスコミ、大学、各種団体の活発な活動が必要である。
 また、あでやかさを確保するには商業やサービス業関係者の絶え間ない営業努力によるところが大きい。地元商業サービス業者と各種団体、市民が皆でまちをサロン化、ホテルのロビー化していく、そのためにはまちを応援していく、まちは市民の宝だという共通認識をもちたい。

1-4 都市の本質は、分業による共生社会
かつて農民は自給自足的な生活をし、余剰農産物を売って得たお金で、わずかな魚とか塩を買っていた程度だが、当時でも都市は分業社会だった。魚屋は問屋から仕入れて小分けして売るだけ、呉服屋は布を仕入れ、仕立てて売るだけ。売った金で食べ物や衣服を買うわけだ。専門的な商品やサービスを提供し、金を得て他の商品やサービスを買い合いっこし、それではじめて生活が成り立つという分業社会だ。分業社会、貨幣経済というのは、共同社会でもある。それが生産から消費までヒューマンスケールを超えて複雑に組織化されてしまったため、仕事疎外・人間疎外の時代に入ったのだと思われる。


たとえに、「みよちゃん」という幼稚園児をイメージしてみよう。
みよちゃんたちの遊び場はまちの通りだ。車は非常に少ない。通りに面した八百屋さんや駄菓子屋さんがいつも子供たちを見守っている。お使いはみよちゃんなど子供の係りだ。そんな子供たちに、お店のおじさん、おばさんたちはときどき飴などのお駄賃をくれる。
八百屋さんは鮮度、価格、安全性にこだわっているため、大変お客に喜ばれている。共に感謝の念を抱いているのだ。
これはそこに暮らす顔見知りの社会、そして分業と支えあいの共生社会といえよう。それは、人間の感覚世界やヒューマンスケールにもとづくコミュニティともいえる。この、有機的なコミュニティの原理を踏まえ、住民による助け合い活動など今始まりつつあるまちづくり、人間復興(ルネッサンス)の萌芽を本物の動きにしていく必要がある。

1-5 古き良き町社会が失われ、都市が衰退してきた五つの理由
欧米に始まった近代経済社会が我が国に輸入され、十分咀嚼されていない段階で高度経済成長が始まったため、欧米のようにコントロールできなかったことが根本原因である。
より具体には、以下の五つの理由に分解できよう。

   -1 世代交代の連鎖が切れた
昭和40年代から、従来の町の生活は古くさい過去のこととして、若い世代は郊外に自分たち核家族の家を新築することが普通になった。それにより連綿と続いてきた貴重な町の歴史、伝統、生活文化が衰退してきた。三世代居住の古くて狭い家から飛び出し郊外に居を構えた団塊の世代以降、街なかは高齢化と人口減少に向かったのだ。急速な生活水準の向上、プライバシー意識の高まりからして、この流れには必然性があった。
しかし、どのような地域にあっても世代交代の連鎖が断ち切られることは地域の衰退に直結する深刻な問題である。


-2 モータリゼーション
昭和50年くらいまでの地方都市では、明治以前から形作られてきた町の形や暮らしがまだ残り、風情を残した町の中に路面電車やバスがのどかに行き交っていた。その頃までの町には、昔からの連続した生活や文化が残っていた。そこへ本格的なマイカー時代が到来する。マイカーというのは距離や天候、時間、昼夜に関係なくどこにでも行け、どこにでも止まれる。また密室性、匿名性もあり、現代人の欲望を最大に満たすものであるが、そのため、大いに社会的混乱ももたらしてきた。
地域の広場としての道の機能は、地域を分断する道路に変わった。その道路には車に乗って誰が侵入してくるかわからず、家と道路を塀で遮断する必要が生じ、コミュニティは衰退していく。
また、住宅に続いてショッピングセンター、官公庁、高校、病院等も、そのときどきに安価で取得の容易な郊外の農地に展開していった。

-3 宅地の利活用の難しさ
農耕文化ゆえか右肩上がり経済下の土地神話のためか、日本人の土地建物へのこだわりは極めて強かった。また、従来の中心市街地というのは二世代、三世代にわたる複雑な相続権がついているとか、狭くて不整形な土地に旧借地借家法がかかっている土地建物が建てこんでいる地域であり、土地の利活用が大変難しい。
急速な経済成長に伴う活発な大型投資を都市内で受け入れにくかったため、モータリゼーションに伴ってそのエネルギーが郊外に出て行ってしまった面も大きい。

-4 バイパスの新設
1985年(S60)年頃から、幹線道路の交通渋滞緩和策などで、郊外にバイパスとか農免道路を作ると、そこには大型店や業務系の建物が進出した。それがいっそう車社会化を進めることとなり、スプロールと街なかの空洞化が進んだ。都市や農地のコントロールができなかったのだ。この事実経過を精査し、「神は人を創り、人は都市を作った」を体現する美しく、温もりのあるコンパクトシティを作るための宝としなくてはならない。

  -5 権力側の刀として使われ、形骸化してきた都市計画法
日本には、本音と建て前という使い分けのカルチャーがあるせいだろうが、法律の運用が極めて下手だ。ざる法などといわれるように、法をないがしろにして適当に取り扱うことが珍しくない。非常に残念なことなのだが、都市計画法はその逆の扱われ方をした。行政側が極めて厳密に運用しようとしたため、都市域の急速な変化に全く対応できず、都市をコントロールすることができなかった。
本音は情、建前は知と関連する。伝統的封建社会においては、相手のことを慮って自分を律するという情の世界だった。それが、上から押し付けられた法が仕切る社会になると、法に触れないものは権利として行使できるという極端なエゴ社会になってしまった。都市計画法は最低限の規範であり、常識・礼儀・慎みといった協調性と地域社会との融和が上位にあるという法体系にしなくてはならない。これは、人為的な法の上にあるコモン・ローといえよう。

2 将来推計人口に見る地方都市の行方
2-1 不確定要素の多い将来像
国立社会保障・人口問題研究所から、2055年までの日本の将来推計人口が発表されている(別資料)。そこでは2000年と2005年の国勢調査のデータをふまえ、その間の社会現象が今後も同様に続くものとして将来予測がなされている。これをふまえて、都市に吹く風とか地方都市のこれからのあり方について考えてみよう。
ただしこの推計人口以外の要因の多くは、振れの大きい不確実なものになる。20年、30年後の都市に働きかける外部因子、たとえば石油・ガソリン価格が倍になる時代が都市に与える影響、地球温暖化問題とか、FTA(自由貿易協定)などグローバル経済下の国内状況と農業の姿など、そういう不確定要因が都市に与える影響などもなるべく想定しながら、多面的に都市像を推測してみたい。
従来の国や自治体には、30年・50年・100年先を見据えて、そのときどきの望ましい都市とか国民生活像を描き、それに向かって実現化計画を作り、皆で進んでいこうというるバックキャスト手法の発想がなかった。これは大いに反省しなくてはならない。都市政策を例にとっても、いったん法律を作った後は、一方的に法を押し付けるか、個別の対症療法に追われ、都市全体を一つの有機体としてコントロールすることができなかった。

2-2 2055年に向けた将来推計人口
   -1 年齢3区分別人口推移
 日本は、2005年をピークに人口減少期に入った(図1)。2005年に12,800万人いた日本の人口が、中位推計で2055年には9,000万人となり、26%も減少する。人口構成を見てみよう(図2)。急速に減り続けた生産年齢人口(15~64歳)は、総人口のピークより9年も早い1996年にピークを迎え、現在では急速に減り始めている。また、65歳以上の高齢者人口は2015年頃まで増え続け、その後は頭打ちで2055年を迎える。15歳未満の年少人口は、1955年、この表の左端から右肩下がりに減り続けている。図3は、これをパーセントで表している。これもまた非常に刺激的だ。右肩上がりの線を見てみよう。2055年に向けて、65歳以上人口の割合がどんどん増えている。老年人口は、2005年に20%だったものが、2050年には倍の40%、ほぼ二人に一人が65歳以上という時代に向かっているのだ。年少人口、生産年齢人口の割合は急速に減っていくのに、老年人口の割合は着実に高まっていく。これには、平均寿命が短かった昔と異なり、そしてこれからも寿命が伸びていくということもある。同じ理由で、65歳以上人口のうち75歳以上人口が過半を占めていく。75歳以上の高齢者は、この歳までが健康寿命といわれていることからもわかるように、多くの人にとって医療や介護、リハビリなどが必要になる世代だ。誰にとっても長寿社会というのは喜ばしいことだが、人口ピラミッドが崩れていく現在、遠い将来に向けて安定的な人口ピラミッドにどう導き、それに合った社会をどう作っていくか。これが、これから生まれてくる世代も含め日本の最重要課題だ。
     今まで見てきた表は、0~14歳、15~64歳、65歳以上人口に三区分して、それぞれの人口合計の経年変化を表したものだ。他方、ある年の具体の年齢構成というのは人口ピラミッドの表でわかる。これら二種類の表で初めて人口動態を立体的にとらえることができるわけだ。

-2 人口ピラミッド  
1950年(S25)のきれいな人口ピラミッドを見てみよう。一番下の広がりが団塊の世代だ。
1970年(S45)の表では、この時代に団塊ジュニアが生まれ始めていることがわかる。団塊の世代が爆発的に生まれて、その後産児制限が国の政策として導入されるなどもあって一気に減っていくわけだ。それからもう20年たって1990年(h2)になると、子供が雪崩を打って減ってきていることがわかる。
2010年(H22)にはお椀のように尻すぼみの形になり、団塊の世代が65歳にさしかかっている。そして、長寿の方々が100歳の大台にせり上がっている。
2030年(H42)には、団塊の世代は80歳から先、団塊ジュニアは60歳にさしかかり、労働人口に比べて高齢者の占める割合がものすごく多くなっていくことがわかる。2030年問題ともいわれる少子高齢化・人口減少社会の最も厳しい時期のはじまりだ。

-3 産学官民全員参加で、まちづくりの実践を
今から20年後、少子高齢化・人口減少の本番真っ只中の2030年という時代を、私たちはどう暮らしてしているのだろう、どう暮らしていられるのか、そのイメージを作らなくてはならない。そのイメージに向け、国も自治体もそれぞれに国民、市長村民と語り合い、共に問題を洗い出して皆が共有する計画を作らなくてはならない。小中学校、高校、大学でも必修科目に取り入れて学び考えるべき性質のものだ。
準備に残された時間は多くない。まだ国として勢いのあるここ10年くらいを目途に立案し、実行に移さなくては間に合わない。
     気の向かないこと・難しいこと・煩雑なことなどは、誰でも人任せにしておきたいものだ。まして将来の稀有壮大なことなぞ。「後任者に先送り」とか、「もの言えば唇寒し」「臭いものには蓋」、そして「行雲水流」といった日本人気質を心配している。

2-3 主な経済面から考える 
  -1 土木建設関連業界 冬の時代
新規投資は極力抑制し、格安となっていく中古物件の改造で対応する経済社会が到来する。
(1) 土地や中古建物が市場にあふれ、それを利用したい人や企業は減っていく。作ったら使い尽くすことが最良の選択となる。価格が下がっていくことがわかっているのに、今すぐ建てるとか買う人は特別の理由がある人たちだ。一般的には賃借し、数年ごとにより安値になった物件に引っ越すか、それをちらつかせながら家賃交渉をすることが賢明な時代になる。
(2) その時々の必要に応じて作られ、用意された土地建物やサービス、社会インフラも、時間の経過とともにそれを必要とする人たちが減っていくわけだから、不要な土地建物は市場に溢れ出し、相当な安値になり続ける。売り惜しんでいると、もっと買い手が減っていく底割れ時代の到来だ。その恐怖心から、売り急ぎと買い叩きが横行することになる。
(3) 道路、上下水道、小中学校、美術館等の公共インフラの相当数が維持管理も困難な不良資産となり、市民の足による投票もあり、自治体の破産につながる。
(4) 賃貸マンション、アパートの新規着工は極端に減り続ける。経営は成り立ちにくくなるから、公的住宅政策が重要になる。
(5) 人口減少社会とは、その時々に必要とされ、作られたものやサービスを使う人が漸次減少していくということだ。ものやサービスが余っていくということであり、一般的に企業活動における投資は、投資するはじから危険なイメージを帯びることになりかねない。新規物件への投資は極力避けて中古物件の再生や改造で済ませ、やむを得ないものにしか新規投資は行われなくなるだろう。

   -2 国内市場の縮小と地場企業の海外展開
地球温暖化による異常気象を考えるだけでも、出生率が上がっていくとは考えられない。この先2055年、その先に向けて常に子供が、仕事(雇用先)が、人口が減って行く社会であろう。そうなると国内向けの企業は、常に業務の縮小に次ぐ縮小に対処していかなくてはならない。
企業は常に成長志向で挑戦していかなければ、現状維持もおぼつかなくなる。社員に張り合いを与え、やる気を鼓舞し続けなければならない。後ろ向き発想は企業の存続にとって決定的な毒だ。となると企業は否応なく海外展開を考えざるをえない。そんな時代にもう突入している。中小でもやる気のある企業は協同して、または貿易商社や投資ファンドの協力を得るなどして、生産販売のための投資の過半を中国から東南アジアに振り向けるだろう。このようにして日本のローカル企業もグローバルに展開することになるのではないか。地方の中小企業といえども、経営者や社員とその家族たちも深く関わっているのだから、多くの日本人が直接グローバル経済に巻き込まれていくと思われる。

-3 農業の将来イメージ
(1) 大規模集約型農業と小規模2.5次農業
これからの農業は、域外からも金を稼ぐ地場の外需型産業としての大規模集約農業と、小規模の2.5次農業に分けて考えなくてはならない。大規模集約農業は、企業的経営に特化して国の豊かさを高める産業と位置づけられるはずだ。
都市近郊から中山間地もある2.5次農業は、都市近郊では地産地消などで都市生活と融合し、コミュニテイビジネスにもつながるものだ。幹線道路わきの新鮮野菜市、日曜菜園、クラインガルテン、子供たちの食育の場、街なかの朝市、バザーへの出店や契約野菜栽培とか都市と村の交流、顔の見える安心安全の農業などと、生産者と消費者がつながり、都市生活をより豊かにする手作りの魅力的な産業と位置づけられるだろう。都市近郊農業の活性化と、耕作放棄地や里山の有効利用を図り、都市生活者にも豊かさをもたらす活用を図るべきである。

(2) 将来最も親しい国の一つである、中国と共生する  
      長期保存可能な米麦大豆等は、15年先には身近で最も親しい国の一つであろう中国の内陸部で、ブロッコリーとか日持ちする野菜は沿岸部で日中合弁企業が大量に作り、そこから輸入すればいい。肉とか不足する食料は全て同様に展開される可能性がある。風土に合った高度な農業を日本が一緒になって作るのだ。その頃は日本人も普通に住んでいると思われる中国で、同じ仲間として汗をかくのだ。
大切なことは、制度的不安定さや貧富の差、民族対立等を抱える大国中国が安定した国でいられるよう支援しながら共生を図ることだ。
これは、相当楽観的なイメージである。食料の争奪戦が世界で起こっている可能性が高いからである。その時々の日本の人口規模と国内の農業生産の内容にもよるのだが、諸外国の農地において、開発輸入、またそこから第三国への開発輸出に日本が関わる戦略があってもいい。



 2009.02.07
人間復興・真の都市の時代へ

少子高齢化、人口減少化の2050年、その先に向けて都市社会を考える。
これら目に見える具体イメージなくしてどんな計画が立てられるというのか。 

目  次

はじめに                          
1 都市の本質              
1-1 都市の発生        
  -1 市と町の発生 
   -2 都の発生
1-2 日米欧のコンパクトシテイイメージ ・・半径500mの町 
  -1 ヨーロッパ中世城郭都市                  
  -2 西部劇の町 
  -3 かつての日本の町   
1-3 中心商店街の重要性 
‥都市観光とショッピング、賑わいと商人と
1-4 都市の本質は、分業による共生社会              
1-5 古きよき町社会が失われた四つの原因 
  -1 世代交代の連鎖が切れた
  -2 モータリゼーション                    
  -3 土地へのこだわり ‥こだわりの中高年と街なかの空洞化 
  -4 都市や農地のコントロールができなかった

2 将来推計人口に見る地方都市の行方             
2-1 不確定要素の多い将来像
2-2 2055年に向けた将来推計人口 
  -1 人口三区分別人口推移
   -2 人口ピラミッド                     
-3 産学官民全員参加で、まちづくりの実践を
2-3 主な経済面から考える   
  -1 土木建設関連業界 冬の時代   
-2 国内市場の縮小と地場企業の海外展開             
-3 農業の将来イメージ
(1) 大規模集約型農業と小規模2.5次農業
(2) 将来最も親しい国の一つである中国と共生する      

 3 持続可能な経済の構築を
3-1 財政逼迫と勤労世代の減少 
3-2 大事な話しは、持続可能な社会づくり          

4 人口の流動化と都市消滅の時代
4-1 都市消滅の時代
-1 生き残れるか、それとも死か ・・淘汰される都市        
-2 本気で生きたいか 生きられるのか
4-2 都市選択の時代 人口移動の始まり 
-1 流動化する勤労世代 
    (1) 親と子の独立 ‥ 家族介護と相続の衰退
(2) ハイモビリティ社会と流動化する労働者の発生
-2 高齢者の大移動 
 4-3 受け皿となる都市

5 人間復興、真の都市の時代へ
5-1 近、現代都市は、人間疎外を作ってきた
 ‥ お金を稼ぐ場としての都市の時代
    ・ 健全な家庭が成り立たない雇用環境
・ 擬似家族・擬似家庭の蔓延
・ 深刻な社会問題の発生
5-2 慎ましやかでも、人間味ある都市の時代へ
-1 コミュニテイビジネス
-2 主体的な市民の登場 
-3 団塊の世代 
   -4 都市生活を豊かにするコミュニテイビジネス
-5 中心商店街の再生
 ・・ まちづくりの主人公は市民の中から
-6 中心市街地活性化事業が失敗してきた二つの理由

6 今世紀半ばから、先の世界を考える
6-1 緑なす大地と水晶型人口ピラミッド
6-2 日本は恵まれた島国 
6-3 水晶型人口ピラミッド  
6-4 総人口5000万人
6-5 外国人の導入による日本人意識の改善
6-6 猿の惑星

7 生活様式の変化は、世代交代に伴って 

8 無責任な現代人

9 責任の所在と責任が発生した理由、これからすべきこと
9-1 責任のありか 
9-2 問題への対応が進まない構造的原因
9-3 ジャーナリストとマスコミ・教育・選挙制度の力 
9-4 国連大学新生の必要性 

振り返って思うこと


  資料1 国連大学 ウ・タント構想
  別資料 日本の将来推計人口


はじめに 
昭和40年代中頃から、結婚を機に若者は生まれ育った街なかから周辺部のアパート等に移り、その後郊外に家を建てる流れが続いている。当時50歳代くらいだった親世代は、老親もいる街なかに残った。それから30年が経過し、団塊世代の親たちが80歳の大台をすぎ、街なかから退出している。世代交代がうまく進まないため、シャッター通り商店街、空家、空き地、そして高齢者ばかり多いまちといった一方通行の流れが全国に出現した。都市は私たちの生活の場だが、少子高齢化・人口減少社会に入った今日、都市は求心性の核である中心市街地をはじめ、衰退の度を強めている。
原因は、一般的にはモータリゼーションにあるといわれているが、以上の理由によりこのとらえ方は一面的なことがわかる。また、これからの都市イメージとしては車社会に依存して拡大しすぎた都市を再構成し、公共交通と徒歩を中心としたコンパクトシティといわれる。化石資源枯渇問題や地球温暖化対応でもあるが、まだ概念が中心の段階である。
2010年には、国や地方の負債が1,000兆円に近づくほどの巨大な負債を抱えることになった。この先日本がどうなるのかと心配でならない。そこで、私たちの生活の場である都市とそこでの暮らしについて本来あるべき姿を考え、将来の町や生活のあり方を考えてみた。


1 都市の本質
まずは都市の本質を確認したのち、これから私たちが作っていくべき都市の生活を考えてみよう。
ヨーロッパの中世都市には、封建領主の権力から開放されたい、自分たちのことは自分たちで決めたいという自治の空気が生まれた。それゆえ、都市壁の中に逃げ込んだ者は、満一年も経過すれば前身のいかんに関わりなく、市民として認められた。古い諺に「都市の空気は自由にする」がある*1。
交易が盛んになるにしたがって、商人を中心に中産階級・市民階級が台頭し、封建領主から権利を買い取るとか、時代を変えていく遠大な営みが展開され、19世紀の市民革命により民主主義、自由主義を勝ち取ることになった。

また都市とは、社会性の動物である人間が集住し、そこでの生活の積み重ねとして形作られてきたものでもある。そして都市とは人間が分業しながら住んでいる所であり、相互に依存しながら初めて生活が成り立っている。
都市は市民の生活の舞台であり、目に見えたり見えなかったりする活動の総体を入れた風呂敷のように、目に見える外形が都市ともいえる。だから都市の実体を深掘りするということは、都市生活とその場面を考えるということになる。
まずは、かつての生き生きとした「まち」について見ていこう。
      *1 肉食の思想p130 
1-1 都市の発生
中近東で起こった農業文明の萌芽期のことだ。農村集落にだんだんと蓄積されていく麦は長期保存可能な余剰農作物であり、富める者と貧しい者、次には地主と小作を生み出した。そして、余剰農産物は農業以外の仕事に従事する人々の発生を可能にした。
遊牧民による隊商がオアシスをつないで交易路を作り、街道沿いの地の利のいい農村集落に市が立ち、それが毎日市の立つ町になり、隊商宿もできるなど都市の形態をなしていった。
小さな隊商都市が勢力を伸ばして都市国家といった形になるとか、都市どうしの戦さの後、複数の都市を含んだ国家の体裁が出来てくる。その中でも都とは、王が住んでいるとか国の政を行っている都市のことだ。国の支配者は、国を守るための兵隊と国を治めるための官僚組織を作り、また政を行い豊作や戦さの勝利を祈り占うための神殿を作った。
すべからく都市は、その発生当初から余剰農産物と様々な地域を結ぶ交易に支えられた分業社会だったのだ。

1-2 日米欧コンパクトシティのイメージ ・・ 半径500mの町
全国で中心商店街の衰退が進んでいるが、今後長く続く少子高齢化人口減少社会にあって、都市は衰退と淘汰の時代を迎えている。そこで生き残れた中小の都市のあり方としては、コンパクトシティといわれている。そのイメージは、郷愁ただよう昔の街並み、古き良きまちにありそうだ。

-1 ヨーロッパの中世城郭都市
町を城壁で囲み、お百姓さんもそこから外の畑へ通うのだ。ヨーロッパは長きにわたって城壁内に高密度で住むしか安全を守るすべのない社会だったのである。日本人には想像もできないような悲惨な戦いが何百年もの間、繰り返されてきたのだ。
都市域を拡張することが極めて困難なコンパクトシティであり、必要なことのほとんどは数百メートルの範囲で用が足りた。城壁の外は農牧地その向こうは森という風景がコンパクトシティには似合う。

-2 西部劇の町
かつて西部劇映画全盛の時代があった。アメリカ西部開拓期の町にも旅人や来訪者を泊めるホテルがあり、その1階には誰でも立ち寄れるロビーがあった。多くの映画は、このロビーを主な舞台としている。そして建物の並びには理髪店、保安官事務所、食料雑貨店、鍛冶屋などがあり、それらの建物は駅馬車の通る道を挟んでアーケードとペデストリアンデッキ(歩行者専用のデッキ)でつながっているなど、極めて都会的なあでやかさがあった。突き当りには通りに面して、住民が皆で作った教会が立っている。まちの住民と都会からの来訪者、流れ者のガンマンと近郊農民の素朴な暮らしなどが織りなす映画の世界だ。
     

-3 かつての日本の町
昭和40年頃までの中小の地方都市の街なかをイメージすればいいだろう。商店や食堂、映画館、銭湯などがあり、横道には飲み屋その周りは住宅といったまちだ。
歩行が中心だから、せいぜい歩いて20分程度で用が足りる範囲に町は作られている。便利でアットホームなまちだった。  

1-3 中心市街地の重要性 ・・・・ 都市観光とショッピング、賑わいと商人と
都市観光という言葉があるが、それは日常的には観光客よりも広域商圏から集まって来る友人同士や家族客にこそいえることだろう。家族や友達を誘って、たまにはおめかしして地元市民、ビジネス客、観光客、老若男女大勢の人が行き交うまちにドライブかたがた出かけて来る。そして、人の心をワクワクさせる非日常的なあでやかさの中で、新しいモノやコトを楽しむ。その中に飲食やショッピングも含まれているのである。広域商圏人口五十万人は、まちに来街する都市観光客のリピーターと捉えた方がよい。
そこで商いを生業にしている商人やサービス業者は、新しいコト・モノ・おもてなしの支え手だ。彼らの商売が順調で、そして来街者をお客様として喜んで迎えてくれるまちがなくては都市は存在できない。
生き物である都市にとって一番大事なものは、皆が来たくなる求心性だ。この求心性は街なかで行われる祭り、展覧会、シンポジウムや同級会等々の様々な会合、ショッピング、商店街の四季折々の販促イベント、バザール、習い事や発表会など、多様なものが飲食やショッピング、散策など、ついでにたくさんのことをしようとの気持ちが折り重なって構成される。その場所、地域の雰囲気はあでやかで品がいい必要がある。いつもの生活よりワンランクめかしこんで、まちのお品の良さに包まれ、日常の雑事に日々は手が回っていないが、自分も本来はここまで品がいいのだ、品よくできるのだとプレステージをくすぐられることが必要なのだ。
そのためには、中心市街地、商店街、飲食小売サービス業者は、品よく顧客の満足度を満たしてあげる演出者でなくてはならない。「お客様は神様だ」とは、実はこの辺をいうのであろう。
ある集まりに、女性が和服で出かけるとしよう。まず、和服を着ることで、立ち居振る舞い、心持ちまでも凛とする。また、その集まりはそれなりの会のはずだ。会の空気を引き締めてくれる彼女のいでたち、そしてそのあでやかさに紳士淑女が声をかけてくれる。本人も回りの応対も一ランク上がるだろう。そうなると、車で会場を往復するだけでは不完全燃焼だ。自分を引き立ててくれるようなラウンジや喫茶店で時間をつぶし、しばらくまちもひやかそうというものだ。こんなときは気のきいた男か常日頃の友人より、少し構えたくなるような多少距離間のある知人とゆったりと知的な会話を楽しみたいものである。
おめかしすることには、それなりの舞台に上がり、友人知人ほかにそれなりに評価され、評価されることをある程度長い時間楽しみたい、できたら余韻も楽しみたいという期待感がある。まちは、以上のような晴れやかな欲望を満たすものでなくてはならない。
街なかが衰退しているとか、シャッター通り商店街などとなってしまっては、あでやかな舞台と登場者を盛りたててくれる演技者(小売サービス業者)が萎えているということであり、舞台活動も光を失い、都市の光、求心性も消えていく。これは、都市の衰退にほかならない。
 集いの場を設けるには、活発な市民活動やそれを可能とする場が必要であり、支え手としての行政やマスコミ、大学、各種団体の活発な活動が必要である。
 また、あでやかさを確保するには商業やサービス業関係者の絶え間ない営業努力によるところが大きい。地元商業サービス業者と各種団体、市民が皆でまちをサロン化、ホテルのロビー化していく、そのためにはまちを応援していく、まちは市民の宝だという共通認識をもちたい。

1-4 都市の本質は、分業による共生社会
かつて農民は自給自足的な生活をし、余剰農産物を売って得たお金で、わずかな魚とか塩を買っていた程度だが、当時でも都市は分業社会だった。魚屋は問屋から仕入れて小分けして売るだけ、呉服屋は布を仕入れ、仕立てて売るだけ。売った金で食べ物や衣服を買うわけだ。専門的な商品やサービスを提供し、金を得て他の商品やサービスを買い合いっこし、それではじめて生活が成り立つという分業社会だ。分業社会、貨幣経済というのは、共同社会でもある。それが生産から消費までヒューマンスケールを超えて複雑に組織化されてしまったため、仕事疎外・人間疎外の時代に入ったのだと思われる。


たとえに、「みよちゃん」という幼稚園児をイメージしてみよう。
みよちゃんたちの遊び場はまちの通りだ。車は非常に少ない。通りに面した八百屋さんや駄菓子屋さんがいつも子供たちを見守っている。お使いはみよちゃんなど子供の係りだ。そんな子供たちに、お店のおじさん、おばさんたちはときどき飴などのお駄賃をくれる。
八百屋さんは鮮度、価格、安全性にこだわっているため、大変お客に喜ばれている。共に感謝の念を抱いているのだ。
これはそこに暮らす顔見知りの社会、そして分業と支えあいの共生社会といえよう。それは、人間の感覚世界やヒューマンスケールにもとづくコミュニティともいえる。この、有機的なコミュニティの原理を踏まえ、住民による助け合い活動など今始まりつつあるまちづくり、人間復興(ルネッサンス)の萌芽を本物の動きにしていく必要がある。

1-5 古き良き町社会が失われ、都市が衰退してきた五つの理由
欧米に始まった近代経済社会が我が国に輸入され、十分咀嚼されていない段階で高度経済成長が始まったため、欧米のようにコントロールできなかったことが根本原因である。
より具体には、以下の五つの理由に分解できよう。

   -1 世代交代の連鎖が切れた
昭和40年代から、従来の町の生活は古くさい過去のこととして、若い世代は郊外に自分たち核家族の家を新築することが普通になった。それにより連綿と続いてきた貴重な町の歴史、伝統、生活文化が衰退してきた。三世代居住の古くて狭い家から飛び出し郊外に居を構えた団塊の世代以降、街なかは高齢化と人口減少に向かったのだ。急速な生活水準の向上、プライバシー意識の高まりからして、この流れには必然性があった。
しかし、どのような地域にあっても世代交代の連鎖が断ち切られることは地域の衰退に直結する深刻な問題である。


-2 モータリゼーション
昭和50年くらいまでの地方都市では、明治以前から形作られてきた町の形や暮らしがまだ残り、風情を残した町の中に路面電車やバスがのどかに行き交っていた。その頃までの町には、昔からの連続した生活や文化が残っていた。そこへ本格的なマイカー時代が到来する。マイカーというのは距離や天候、時間、昼夜に関係なくどこにでも行け、どこにでも止まれる。また密室性、匿名性もあり、現代人の欲望を最大に満たすものであるが、そのため、大いに社会的混乱ももたらしてきた。
地域の広場としての道の機能は、地域を分断する道路に変わった。その道路には車に乗って誰が侵入してくるかわからず、家と道路を塀で遮断する必要が生じ、コミュニティは衰退していく。
また、住宅に続いてショッピングセンター、官公庁、高校、病院等も、そのときどきに安価で取得の容易な郊外の農地に展開していった。

-3 宅地の利活用の難しさ
農耕文化ゆえか右肩上がり経済下の土地神話のためか、日本人の土地建物へのこだわりは極めて強かった。また、従来の中心市街地というのは二世代、三世代にわたる複雑な相続権がついているとか、狭くて不整形な土地に旧借地借家法がかかっている土地建物が建てこんでいる地域であり、土地の利活用が大変難しい。
急速な経済成長に伴う活発な大型投資を都市内で受け入れにくかったため、モータリゼーションに伴ってそのエネルギーが郊外に出て行ってしまった面も大きい。

-4 バイパスの新設
1985年(S60)年頃から、幹線道路の交通渋滞緩和策などで、郊外にバイパスとか農免道路を作ると、そこには大型店や業務系の建物が進出した。それがいっそう車社会化を進めることとなり、スプロールと街なかの空洞化が進んだ。都市や農地のコントロールができなかったのだ。この事実経過を精査し、「神は人を創り、人は都市を作った」を体現する美しく、温もりのあるコンパクトシティを作るための宝としなくてはならない。

  -5 権力側の刀として使われ、形骸化してきた都市計画法
日本には、本音と建て前という使い分けのカルチャーがあるせいだろうが、法律の運用が極めて下手だ。ざる法などといわれるように、法をないがしろにして適当に取り扱うことが珍しくない。非常に残念なことなのだが、都市計画法はその逆の扱われ方をした。行政側が極めて厳密に運用しようとしたため、都市域の急速な変化に全く対応できず、都市をコントロールすることができなかった。
本音は情、建前は知と関連する。伝統的封建社会においては、相手のことを慮って自分を律するという情の世界だった。それが、上から押し付けられた法が仕切る社会になると、法に触れないものは権利として行使できるという極端なエゴ社会になってしまった。都市計画法は最低限の規範であり、常識・礼儀・慎みといった協調性と地域社会との融和が上位にあるという法体系にしなくてはならない。これは、人為的な法の上にあるコモン・ローといえよう。

2 将来推計人口に見る地方都市の行方
2-1 不確定要素の多い将来像
国立社会保障・人口問題研究所から、2055年までの日本の将来推計人口が発表されている(別資料)。そこでは2000年と2005年の国勢調査のデータをふまえ、その間の社会現象が今後も同様に続くものとして将来予測がなされている。これをふまえて、都市に吹く風とか地方都市のこれからのあり方について考えてみよう。
ただしこの推計人口以外の要因の多くは、振れの大きい不確実なものになる。20年、30年後の都市に働きかける外部因子、たとえば石油・ガソリン価格が倍になる時代が都市に与える影響、地球温暖化問題とか、FTA(自由貿易協定)などグローバル経済下の国内状況と農業の姿など、そういう不確定要因が都市に与える影響などもなるべく想定しながら、多面的に都市像を推測してみたい。
従来の国や自治体には、30年・50年・100年先を見据えて、そのときどきの望ましい都市とか国民生活像を描き、それに向かって実現化計画を作り、皆で進んでいこうというるバックキャスト手法の発想がなかった。これは大いに反省しなくてはならない。都市政策を例にとっても、いったん法律を作った後は、一方的に法を押し付けるか、個別の対症療法に追われ、都市全体を一つの有機体としてコントロールすることができなかった。

2-2 2055年に向けた将来推計人口
   -1 年齢3区分別人口推移
 日本は、2005年をピークに人口減少期に入った(図1)。2005年に12,800万人いた日本の人口が、中位推計で2055年には9,000万人となり、26%も減少する。人口構成を見てみよう(図2)。急速に減り続けた生産年齢人口(15~64歳)は、総人口のピークより9年も早い1996年にピークを迎え、現在では急速に減り始めている。また、65歳以上の高齢者人口は2015年頃まで増え続け、その後は頭打ちで2055年を迎える。15歳未満の年少人口は、1955年、この表の左端から右肩下がりに減り続けている。図3は、これをパーセントで表している。これもまた非常に刺激的だ。右肩上がりの線を見てみよう。2055年に向けて、65歳以上人口の割合がどんどん増えている。老年人口は、2005年に20%だったものが、2050年には倍の40%、ほぼ二人に一人が65歳以上という時代に向かっているのだ。年少人口、生産年齢人口の割合は急速に減っていくのに、老年人口の割合は着実に高まっていく。これには、平均寿命が短かった昔と異なり、そしてこれからも寿命が伸びていくということもある。同じ理由で、65歳以上人口のうち75歳以上人口が過半を占めていく。75歳以上の高齢者は、この歳までが健康寿命といわれていることからもわかるように、多くの人にとって医療や介護、リハビリなどが必要になる世代だ。誰にとっても長寿社会というのは喜ばしいことだが、人口ピラミッドが崩れていく現在、遠い将来に向けて安定的な人口ピラミッドにどう導き、それに合った社会をどう作っていくか。これが、これから生まれてくる世代も含め日本の最重要課題だ。
     今まで見てきた表は、0~14歳、15~64歳、65歳以上人口に三区分して、それぞれの人口合計の経年変化を表したものだ。他方、ある年の具体の年齢構成というのは人口ピラミッドの表でわかる。これら二種類の表で初めて人口動態を立体的にとらえることができるわけだ。

-2 人口ピラミッド  
1950年(S25)のきれいな人口ピラミッドを見てみよう。一番下の広がりが団塊の世代だ。
1970年(S45)の表では、この時代に団塊ジュニアが生まれ始めていることがわかる。団塊の世代が爆発的に生まれて、その後産児制限が国の政策として導入されるなどもあって一気に減っていくわけだ。それからもう20年たって1990年(h2)になると、子供が雪崩を打って減ってきていることがわかる。
2010年(H22)にはお椀のように尻すぼみの形になり、団塊の世代が65歳にさしかかっている。そして、長寿の方々が100歳の大台にせり上がっている。
2030年(H42)には、団塊の世代は80歳から先、団塊ジュニアは60歳にさしかかり、労働人口に比べて高齢者の占める割合がものすごく多くなっていくことがわかる。2030年問題ともいわれる少子高齢化・人口減少社会の最も厳しい時期のはじまりだ。

-3 産学官民全員参加で、まちづくりの実践を
今から20年後、少子高齢化・人口減少の本番真っ只中の2030年という時代を、私たちはどう暮らしてしているのだろう、どう暮らしていられるのか、そのイメージを作らなくてはならない。そのイメージに向け、国も自治体もそれぞれに国民、市長村民と語り合い、共に問題を洗い出して皆が共有する計画を作らなくてはならない。小中学校、高校、大学でも必修科目に取り入れて学び考えるべき性質のものだ。
準備に残された時間は多くない。まだ国として勢いのあるここ10年くらいを目途に立案し、実行に移さなくては間に合わない。
     気の向かないこと・難しいこと・煩雑なことなどは、誰でも人任せにしておきたいものだ。まして将来の稀有壮大なことなぞ。「後任者に先送り」とか、「もの言えば唇寒し」「臭いものには蓋」、そして「行雲水流」といった日本人気質を心配している。

2-3 主な経済面から考える 
  -1 土木建設関連業界 冬の時代
新規投資は極力抑制し、格安となっていく中古物件の改造で対応する経済社会が到来する。
(1) 土地や中古建物が市場にあふれ、それを利用したい人や企業は減っていく。作ったら使い尽くすことが最良の選択となる。価格が下がっていくことがわかっているのに、今すぐ建てるとか買う人は特別の理由がある人たちだ。一般的には賃借し、数年ごとにより安値になった物件に引っ越すか、それをちらつかせながら家賃交渉をすることが賢明な時代になる。
(2) その時々の必要に応じて作られ、用意された土地建物やサービス、社会インフラも、時間の経過とともにそれを必要とする人たちが減っていくわけだから、不要な土地建物は市場に溢れ出し、相当な安値になり続ける。売り惜しんでいると、もっと買い手が減っていく底割れ時代の到来だ。その恐怖心から、売り急ぎと買い叩きが横行することになる。
(3) 道路、上下水道、小中学校、美術館等の公共インフラの相当数が維持管理も困難な不良資産となり、市民の足による投票もあり、自治体の破産につながる。
(4) 賃貸マンション、アパートの新規着工は極端に減り続ける。経営は成り立ちにくくなるから、公的住宅政策が重要になる。
(5) 人口減少社会とは、その時々に必要とされ、作られたものやサービスを使う人が漸次減少していくということだ。ものやサービスが余っていくということであり、一般的に企業活動における投資は、投資するはじから危険なイメージを帯びることになりかねない。新規物件への投資は極力避けて中古物件の再生や改造で済ませ、やむを得ないものにしか新規投資は行われなくなるだろう。

   -2 国内市場の縮小と地場企業の海外展開
地球温暖化による異常気象を考えるだけでも、出生率が上がっていくとは考えられない。この先2055年、その先に向けて常に子供が、仕事(雇用先)が、人口が減って行く社会であろう。そうなると国内向けの企業は、常に業務の縮小に次ぐ縮小に対処していかなくてはならない。
企業は常に成長志向で挑戦していかなければ、現状維持もおぼつかなくなる。社員に張り合いを与え、やる気を鼓舞し続けなければならない。後ろ向き発想は企業の存続にとって決定的な毒だ。となると企業は否応なく海外展開を考えざるをえない。そんな時代にもう突入している。中小でもやる気のある企業は協同して、または貿易商社や投資ファンドの協力を得るなどして、生産販売のための投資の過半を中国から東南アジアに振り向けるだろう。このようにして日本のローカル企業もグローバルに展開することになるのではないか。地方の中小企業といえども、経営者や社員とその家族たちも深く関わっているのだから、多くの日本人が直接グローバル経済に巻き込まれていくと思われる。

-3 農業の将来イメージ
(1) 大規模集約型農業と小規模2.5次農業
これからの農業は、域外からも金を稼ぐ地場の外需型産業としての大規模集約農業と、小規模の2.5次農業に分けて考えなくてはならない。大規模集約農業は、企業的経営に特化して国の豊かさを高める産業と位置づけられるはずだ。
都市近郊から中山間地もある2.5次農業は、都市近郊では地産地消などで都市生活と融合し、コミュニテイビジネスにもつながるものだ。幹線道路わきの新鮮野菜市、日曜菜園、クラインガルテン、子供たちの食育の場、街なかの朝市、バザーへの出店や契約野菜栽培とか都市と村の交流、顔の見える安心安全の農業などと、生産者と消費者がつながり、都市生活をより豊かにする手作りの魅力的な産業と位置づけられるだろう。都市近郊農業の活性化と、耕作放棄地や里山の有効利用を図り、都市生活者にも豊かさをもたらす活用を図るべきである。

(2) 将来最も親しい国の一つである、中国と共生する  
      長期保存可能な米麦大豆等は、15年先には身近で最も親しい国の一つであろう中国の内陸部で、ブロッコリーとか日持ちする野菜は沿岸部で日中合弁企業が大量に作り、そこから輸入すればいい。肉とか不足する食料は全て同様に展開される可能性がある。風土に合った高度な農業を日本が一緒になって作るのだ。その頃は日本人も普通に住んでいると思われる中国で、同じ仲間として汗をかくのだ。
大切なことは、制度的不安定さや貧富の差、民族対立等を抱える大国中国が安定した国でいられるよう支援しながら共生を図ることだ。
これは、相当楽観的なイメージである。食料の争奪戦が世界で起こっている可能性が高いからである。その時々の日本の人口規模と国内の農業生産の内容にもよるのだが、諸外国の農地において、開発輸入、またそこから第三国への開発輸出に日本が関わる戦略があってもいい。