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地方自治からこの国を変える

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  3. 地方自治からこの国を変える
関東都市学会 報告  2012.9.29
地方自治からこの国を変える
間接民主主義から、参加型・議会制民主主義へ 
                          まち-集落研究室  小 林  修
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1 さらば間接民主主義【はじめに】
(以後、特に断らない限り、「議会」とは市議会を指し、「市民」は住民も含む)
地方分権の動きが1990年代から進行するなか、自治体の体質強化が始まり、事業の改廃・組織の見直しや経費削減など行政改革が進み、市町村合併もなされた。しかし議会は、行革に追随するかたちで定数削減、報酬削減を繰り返し、近年はもうひと押しと議会基本条例といった方針条例で納得している。形骸化している議会の抜本的な機能強化が図られるべきなのだが、その方向にはない。

地方自治のキーポイントは、市民に最も身近なはずの市町村議会にある。議員は、それぞれの支持者たちの代表である。代議員と呼んだ方が、議員の定義がわかりやすい。議会も、代議員集会と呼んだ方が、市民や議員に勘違いされずにすむ。
そのような代議員が集まる議会は、市民に一番身近で、それゆえ最高の議決機関である。それにもかかわらず、市民から必要性に疑いが持たれている。市民から縁遠く、立候補時に市民に熱く語った事柄や議員の理念も忘れ、議会制度のあるべき姿を確かめることもなく、市民に与えられた座布団に座り、お手盛り議員村(*1)をやっている。彼らはそれを、市民のためにやっていると思い込んでいるのだから、何とも仕様がない。

人口オーナス・グローバル化と経済の空洞化など、歴史的な時代の転換期にあって、議会の村社会化・ガラパゴス化が目立つようになった。一方、教育・雇用・医療・福祉等々、年々不安が高まるなか、安穏たる議会に対する市民の不信感はかつてなく高まっている。
「地方自治は民主主義の最高の学校」といわれる。その殿堂たる議会がこのような状況である。わが国の地方自治の仕組みに、構造的な問題があるといわざるを得ない。
混乱する経済や社会にあって、形骸化した議会制民主主義と、高まる市民の不満、この先に我々は何を見るのか。私は、民主主義の立て直しを図るべく、市民の立ち上がりを見たい。そのチャンスが訪れている。10年後には、団塊世代が後期高齢者にさしかかる。この国の形をなすために残された期間はここまでではないか。

私は、昨年23年度より2年任期の「松本市議会ステップアップ市民会議」に参加し、「議会機能の強化・議会運営」を担当する分科会の実質座長として、議会改革の提言書を作成する機会を得た。その折、議会一般の主体性の欠如とその原因、議会本来の重要性と今後のあるべき姿に思い至った。
本論においては、形骸化が著しい議会の原因を考え、議会制民主主義の目指すべき方向性とその可能性を考えたい。
  なお今回の考察は、松本市議会での経験を踏まえ、一定規模以上の自治体として市レベルを前提に論の一般化を図った。
本論の目的は、①議会の今後のあるべき姿は、有意な市民が日々の生活感覚でシームレスに参加できる議会制民主主義を提案することにある。②しかし、議会側からそれを作るのは無理であり、③市民が立ち上がり、外から議会を改革するのでなければ実現しない。④その条件が最高度に高まってきたというものである。以下、詳しく見てみたい。


2 市民と疎遠なため、生じた議員村【現状】
2-1 議員村(*1)が生じたわけ
-1 官尊民卑の歴史文化的土壌に、上から押しつけられた民主主義であり、市民が勝ち取ったものではない。
-2 国により、地方議会は巧妙に強くなれないよう制度化が図られていた。
-3 戦時体制や敗戦後の混乱・経済成長・都市化の時代が続くなか、草の根民主主義が育つ状況になかった。
このような中、
-4 議会と市民の隔たりが、市民の無関心を呼んだ。
-5 それをいいことに、議会の村社会化が進んだ。
-6 これにより、市民の無関心化がさらに進み、議員村の慣習が強化されていった。
     ※ 3~6は、スパイラルに繰り返されたが、経済成長期までは市民の関心を引かなかった。

2-2  議員村から派生したこと 
    【体質】
-1 議員各自が研鑚を深め、議員同士が政策論議を深める姿勢が見られない。‥→討論はもちろん、論議も避けて和合している。日本の地方議会は「言論の府」ではない。行政とも和していたい和諧社会である。
-2 議員の多くは、論理力や首長のマニュフェスト等行政側から出される政策に関する独自の視点をもっていないため、有意な市民に議論を吹きかけられることが怖い。そのため、議会報告会等、開かれた議会化の動きも抑制的なもの、形だけのものに留まる可能性が高い。
   -3 首長に対し、政策面で市民から厳しい批判があると、首長は議会の承認を得ていると言う。議会は議会で、正当な判断をしたと言葉少なに煙に巻く。行政と議会が結託して市民を言い含める、ときには押し伏せる向きもある。
 【改革への努力】
-4 議会機能を強化するため、議会招集権、議会事務局の人事権、議会関係の予算権の獲得などを図る意欲や主体性が欠落した。日本的には、徴税能力のある市に議会税の徴収を委託する形だろうが、独自の財源を持つ独立した議会になるべき。
-5 国会を真似た格式張った議場や会議規則等を、肩ひじ張らない普通の会議に近づける努力もしてこなかった。うまいこと議員になれた多くの人たちは、行政のお客様扱いをいいことに、行政から与えられた座布団に座り、行政にいいように懐柔されている人たちか。
-6 生活のため、議員であり続けようとする職業議員たちが村の中核となるなど、議会活性化への重しは大きい*。
      ‥「なるべく行政とは、角張らないように」「これで選挙さえなかったら天国」
* 職業議員:生活のため、議員であり続けようとする人たち。生活給が支払われているため、濃淡はあるがすべての議員にいえる。
* 政治家全般にいえることだが、本人が辞めたくても後援会自身の利益のため続けさせようとする後援会は珍しくはなかった。しかし、世間の世代交代や可視的で合理的な時代へ転換するなか、そのような営みは衰えていくだろう。
-7 市民、国民への影響
「地方自治は民主主義の最良の学校」の真逆になってしまった。従来の地方自治は、民主主義の根を断つ学校だった。それは、この国を衰退させるために、大きな貢献をしたことになる。
ア 民主主義への市民、国民の参加意欲の喪失。人材輩出機能の衰退
      イ 国民の考える力・プライド・主体性・考える力が損なわれた結果、政・官・財・学・民・マスコミの力が劣化した。
ウ これらにより、国や自治体の緊張は相当緩んでいる。特には、マニュフェスト等、新しい政策の内容が深く論議されないまま、実施に移されている事例が少なくない。
2-3 議会制度の再確認
2-3-1 「議会制民主主義」の定義が間違っていた
我々は、住民集会といった直接民主主義が現実には困難なので、選挙で選ばれた議員による議会制民主主義の形をとり、間接民主主義とも称されると教わってきた。これを裏返せば、①市民は選挙で議員を選べばよい。あとは議会に送られた議員の自主性に委ねられ、その評価は次の選挙時になされる。②議会への市民参加は、例外的に陳情や請願が用意されている。③このように議員や議会と市民の間には大きな距離がある。そのため、間接民主主義ともいわれる。すなわち、議会は市民から全権委任された議決機関で、草の根市民が議会活動に関われるようなシステムではないという抑え込みのような作用が働いてきた。

議会制民主主義の制度のみを輸入したため、わが国のその後には悲しい事柄が多い。国を含む最高議決機関は特殊な世界を構成したため、市民の多様な知恵が反映されず、何度もこの国の行き方を間違えてきた。そして無為無策の沈みゆく国家、国民に成り下がった。

しかし、教育の向上や情報化のもと、各種組織の壁は低くなり、可視化や権威の劣化、オープン化が近年顕著に進んできた。それに並行して、政府・自治体や議会といった従来のお上に対し、市民が対等な目線で見始めた。その市民の常識からすると、報道に見る今の議会や議員の行為は、かなり不自然に見える。形骸化が進み、議員同士がお手盛りしている議会が、自分たちと関わりの深い事柄と認識されるようになってきた。
* 「イギリスの人民は自由だと思っているが、それは大間違いだ。彼らが自由なのは、議員を選挙する間だけのことで、議員が選ばれるやいなや、イギリス人民は奴隷となり、無に帰してしまう‥→欧米先進国では杞憂だった」。ルソー 社会契約論1762年

2-3-2 自立せよ、議会! 議会本来の重要性と、議会のおいしい立場
合議制の議会側より、マニュフェスト選挙を勝ち抜いた「大統領」で、執行機関の長である市長は強い立場にある。はたして本当だろうか。
議会は、市民を代表する最高の議決機関である。マニュフェストを掲げて当選した市長側のマニュフェストに関する議案であろうとも、議会の承認なしでは執行できない。政策の決定や執行に向けた予算の承認などの最高責任は、議会側にある。通常業務に関しては、行政側に委ねられた部分が多いが、それらについても一般質問や監査で影響力を行使できる。市民に代わって審議すること、法はその議会に独任制の市長以上の権限を置いている。だが議会からは、その権力の重さ、責任が感じられない。
議会側も、主要な政策については予め独自の見解を持たなくてはなるまい。さもないと、執行機関側の政策提案に対し、子葉末葉をつつくような些末な論議になってしまい、いつになっても行政側と対等な論議はかなわない。議会は、市民や専門家を活用して議会サイドで行政側が作成中の政策について、独自の見解を整理しておく必要がある。そのようにして議決に至ったものの具体の執行は行政に任せて監督していればいい。議決されたことの具体化と実施の責任は、プロの執行機関が負うことになり、議会が負う責任は極めて少ない。そのような「おいしい立場」にあるにもかかわらず、その権限をなぜか生かせていない。

2-3-3 観光バスの社員旅行 
市民・議会・市長・執行機関の関係は、社員のバス旅行に置き換えるとわかりやすいかもしれない。少なくとも、ニュートラルな視点で捉え直しができる。

社員たちは、複数業者の観光旅行プランの中からお気に入りのものを選択する。幹事は選んだプランの業者と詳細を詰め、業者は具体の手配をする。
いざバス旅行に出発だ。諸事情による大きな日程変更は、添乗員より相談を受けた幹事が皆に諮り、添乗員に指示する。見学場所では、全員添乗員の指示に従う。わずかな変更は添乗員が幹事の同意を得て調整する。

ここでエライのは、お金を払う社員御一行であるのは間違いない。その代表として、業者との詰めと最終決定と指示を出すのが幹事の役割である。旅行業者に対し、幹事は大変エライのである。幹事の自覚を促したい。
   【表1】                  【表2】現状   【表3】あるべき形
社員御一行 社員 市民 市民 自治体 市民
議会
旅行幹事 議決機関 ⇒ 自治体 議決機関 ⇒
旅行業者 添乗員 行政機関の長 行政機関 行政機関
運転手 行政機関


2-3-4 観光バスから見えてくる大きな罠
-1 旅行幹事(議員)が、業者から報酬を得ているのはおかしい。
-2 旅行幹事会の開催権が添乗員にある。
-3 幹事会の予算も添乗員(首長)にある。
-4 旅行幹事を手伝う事務局員が、業者から提供されている。
-5 幹事(議員)は、業者の出した座布団に座り、接待され、いい思いをしている形になっている。
-6 これでは、旅行は業者の思うまま。4年に一度の旅行業者選定のときまで、御一行はいいカモ以外の何ものでもない。
-7 自治体は、議決機関と執行機関で構成されることになっている。住民集会に変わる議会は、(民を制するがごとき)議決機関として「お上」側に引き込まれてしまっている。いつまでもお上側に引き込んでおくためには、議会が強くなっては困る。議会人はその枠組みを甘受し、今日に至った。
 * 機関委任事務、諜報機関というように、機関という言葉には、国などの権力によって設けられ、一定の目的を果たすための組織というイメージが強い。
* 明治期、府県は国の出先機関であり、その府県の監督のもとで市町村の自治が認められていた。戦後、府県は市町村とともに自治体とされたが、その枠組みは日本政府により作られ、発想のベースは同じである。そこで、住民と直結した地方議会が強くなることは、政府にとっては不安や不都合な面があり、議会を知事の権力化に組み入れる仕組みとし、それを地方自治体すべてに適用したと考えられる。集中は首長までとする仕組みが作られた。そのため、議会は権力機構内に組み入れ、市民からの適度な分断が図られることとなったと解される(*2)。

議会が、目覚めて市民側に帰って来るのか。市民が、議会を取り戻すのか。

2-4 無関心から憤りへ
2-4-1 表面的だった議会改革
1990年頃から日本の衰退が始まり、少子高齢化・人口減少やグローバル化による企業の海外移転など、大きな波が重なって社会不安を強めてきた。その中で地方分権の動きも始まり、行政改革では、事業や組織の見直し・人件費を含む経費の削減等が行われ、それに追従するかたちで議会改革も行われてきた。
しかし議会は、議会制民主主義の強化充実を図るのではなく、議員定数や報酬の一定程度の削減や情報公開など、表面的な改革に終始した。議員間討議・市民参加の推進・反問権の付与などといった、近年盛んな議会基本条例を見ても明らかである。
一例として情報公開を見てみよう。議会側は、市民が議会に無関心なのは市民に責任があると思っている。しかし、そういっても仕方ないので、議会側からインターネット等による広報機能の充実や、議会報告会で関心を引こうとしている。だが、議会はなぜか大きな間違いに気づいていない。議員村のやっていることに、市民が興味を持つはずはないのだ。これでは、全く議会不信を消し去ることができない。
議会がすべき改革は、議員村を解体し、市民と有機的につながることにあるのだが、自分たちの生き残りを図るなかで形成されてきた村を、自分たちで開放することは、やはりありえないのであろう。

2-4-2 市民の無関心は、不信、そして憤りへ
表面的な議会改革であっても、従来なら市民は騙され、無関心の中に落ち着いていたのだが、今回は事情が異なるようだ。教育、健康・福祉・医療、雇用など、多くの不安に直面する市民やその家族・友人、将来を不安視する市民の社会意識はかつてなく高まっている。彼らにとって、旧態然とした安穏な議会は奇異に見え、不信感を増大させている。具体の問題を抱え、議会にも働きかける人ほど憤る人が多くなる。

2-5 参加型・議会制民主主義に向けて
   議会と市民が縁遠いため、市民の無関心を呼び、その結果、議員村が形成された。これらが繰り返され、補強されてきた。そして、極度に不安な時代が続くなかで、議会に対する市民の無関心さは、憤りに代わりつつある。
私は、明治維新に次ぐ二回目の、もの言う市民の登場と捉えたい。ものを言う場は議会である。住民集会の代わりの議会である。それは、議員にだけに発言が許される閉じた議会ではなく、市民も意見を言え、共に考える開かれた議会である。参加型の民主主義を作る好機である。最終議決のみ、議員の責任で行えばよい。議会を市民に開放するときが来ている。


3.参加型民主主義こそ本来の姿
3-1 そのイメージと変化の主体
3-1-1 シームレスな参加型民主主義の形成 ‥有意市民・市民有志
市民参加を生活感覚で日常的に組み入れた議会制民主主義の制度ができれば、生活問題を抱える当事者市民や市民有志が議会活動に積極的に参加するようになる。すると議員村に沈殿してきた問題の多くは溶解し始める。従来無関心だった市民も関心を寄せるようになる。そのときどきの当事者市民や市民有志と議員により、市民と日々の生活感覚でつながったところで政策論議が行われることになる。すると、重度の無関心層にも、自分もいつでも論議に参加できるという安心感と信頼感が形成される。そして、このような議会の状態を維持するためには、市民の日ごろの参加が必要であるという、市民の責任感も醸成されるだろう。このようにして、本来あるべき議会制民主主義の形が出来上がるのではないだろうか。
                    
3-1-2 再び市民革命は起こるか ‥お上と平民、しかし、ここに至ると、、
   議会が批判され続けているということは、間接民主主義における市民との隔たりが過度に増大していることを意味する。わが国の間接民主主義では、歴史的に「お上と平民」的分断が今日まで続いてきたわけだが、その壁が、従来思っていたよりもよほど低くなっている。市民は、議会がただそこにあり、議員一人ひとりは、我々と同じ程度の人間だということに気づいた。市民は、教育や社会経験を踏まえて、自分たちの方が上かもしれない、あるいは生活問題や将来不安を抱えて、それらの問題には議員より自分たちの方がよほど政策通だと思ったとき、有意の市民は行動に出るのではないか。このような社会状況をよそに、高給を得ながら議員村で安穏を決め込んでいる議員を、看過することはできなくなっているのだ。まったくの無関心市民層にも、議員に対しては妬みに近い不公平感がある。
このような市民が立ち上がるといっても、それは無理のない範囲の選挙活動や、投票程度でいい。民主主義はやはり優れものである。そしてその方向は、参加型民主主義であろう。
ここで穏やかに、日本の市民革命ともいえる現象が再び起こるのではないか。改革を目指す市民議員が過半数を占め、短期に改革に入るのだ。初当選後の4年間で形にしないと、報酬にすり寄る議員がつくる村の魅力に抗しがたくなってしまう。(職業議員排除を公約した地域政党から送り込んだ議員たちなら、議員定数の過半を取るまでもう一期くらいかかってもよいだろう。)

3-2 参加型民主主義。その具体の形
3-2-1 オープン議会
本会議、各種委員会審議等において、市民の傍聴を認めるだけでなく、出席している市民も一緒に議論に参加する。最低限でも市民が意見表明する時間を設け、それも踏まえて議決する。
3-2-2 議会主催の市民集会
  議会が中心になって開く市民集会ということがポイントである。他の開催主体では、中立を期すことが困難なのだ。また、行政が主催する場合、執行機関ということで、どうしてもテーマや質問等が即物的になるきらいがある。住民集会の現代版として、議会が主催することがふさわしい。
そこでは様々な政策論議がなされ、極端な意見は異なる立場の市民により中和される。目の前の事柄で議員を追い詰めるとか、陳情・請願ではなく、論議を深め、市民も議員も共に学び育つ「民主主義の学校」でもある。提言によっては、議案として議会に上げることもあるため、市民有志の参加や提案が期待できる。
 
以上二つが、市民参加の主な仕組みであろう。有意な市民が参加することで、議員は議論力を求められることになり、マンネリ議員、職業議員は排除され、議員村は解体されていく。
 
3-3 職業議員排除論から始まる本格的な改革論議  ‥なりやすく、やめやすい議員職
それにしても職業議員体質は、議会活性化の大きな重しであり、抜本的な対策が必要である。そのような話には、必ず議員定数や報酬の削減という話が出て来る。職業議員(マンネリ議員)を排除しないと、やる気のあるなり手が出て来れないにもかかわらずである。
これに対しては、今後も地方分権が進み市民の要望も多様化していくなか、ますます議員の仕事も多くなる。それなのに議員定数を削減していいのか。安心して議員を続けられる報酬を保障しなくていいのか、議員のなり手がいなくなるとか、片寄る可能性にはどう対処するのかという質問が投げかけられる。議会制民主主義の本質に迫る問題である。以下それらの対応を、整理してみた。

3-3-1 職業議員排除の影響
今日に至る議会の状況を見る限り、いくら市民参加が進み、議会が新生したとしても、社会が安定すれば、参加の熱意は下がる。そのとき生活給が支払われていれば、職業議員たちが必ずはびこるだろう。これは絶対避けねばならない。ともかく、生活給は支給しないことが肝心である。
-1 新陳代謝‥実費と若干の手当のみ支払われることになり、議員は他に主たる収入を確保している状態になる。いろいろな理念、熱意の人が、政策に影響を及ぼすために議員となり、目的を達成したとき、あるいは熱意が失われたときには、容易に退く形になる。地方議会を健全に保つには、このことは非常に重要である。
-2 議会制民主主義の歴史が長い欧米の地方議会では、議員はボランティアというのが基本認識である。そこでは、職業として議員になるわけではないから、選挙で選ばれた献身的な有志市民という認識になる。
-3 職業議員が排除されると、経験を積み重ね、知識を深めた議員もいなくなるのでは、という疑問が生ずる。経験の蓄積や専門化した知識は、学習や事務局・OB議員を含む市民の知的資源の活用(市民や専門家による審議会や長老会等)で対応するべきである。これについては2.(3)2)でも触れた。
 
3-3-2 議員定数の再検討
-1 議員定数の削減は、議会改革の本筋ではない。これだけを議論しても不毛である。真に望ましい議会制民主主義を作り上げたとき、自ずと定数も定まってくる。
-2 議員が、他に主たる生計の手段を持つとなると、議員活動の時間が制限される。そのため、真に必要とされる議員の仕事を精査し、軽減しなくてはならない。
-3 形骸化している各種常任委員会などに、議員間討議に必要な委員数を確保し、合算したような数の議員定数が、本当に必要なのかは極めて疑わしい。議会へ出かける日数は年間80日程度である(議会休会日、土日祭日を含み、半日も1日とカウント(*3))。どう考えても仕事量が過重となるなら、定数を増やして一人当たりの仕事量を減らす必要がある。
-4 報酬を減らした場合、定数を充足できるかという問題がある。そのため、以下のように選挙に出やすく、議員としての負担も軽く、必要に応じて議員を続けやすい環境を作る必要がある。

3-3-3 候補者及び議員の負担軽減
 議案の精査や、開催日・時間・開催回数といった負担の検討
-1 事務局機能の強化と通年議会化による活動の平準化
-2 広聴機能や合意形成等について、市民・専門家・自治会等との連携を図る。
-3 会計監査等には外部の専門家の一層の活用を図り、議員は事業評価に重きを置くなど、真に議員がすべきことをえり分ける。
-4 市町村合併などにより、議員や参加する市民の居住域は一層広がった。インターネット会議など電子技術の積極的な活用を図る。
-5 職業議員がいなくなるうえ、定数が増え、新陳代謝が活発となり、当選ラインが下がれば選挙コストは減る。
-6 それでも定員割れや民主主義のコストについて、想定外の問題が発生した場合は、そのときどきで解決策を探すことになる。未完成、ゆえに常に改良を厭わない柔軟な姿勢が重要だ。従来は、法の運用側がそのような立場に立てず、多くの深刻な硬直化が見られた。

3-3-4 自治会やNPOとの連携
  自治会は、住民自治の原点である。団塊世代の地域回帰と高齢化時代本番が重なっている。地域福祉、地域医療等、今後地域のまちづくりは自治会の重要性が高まる。他のNPOも、福祉を意図したものが多い。このような自治会とNPOが議会や行政とシームレスに連携する必要がある。これにより、議会や行政の負担は軽減され、充実も図られる。また、自治会・NPOも活発になる。

3-3-5 議員の片寄り ‥生活費を保障しないと、議員(審議)に片寄りが生ずるか。
同級生、OB会、NPO等の友人・知人や組織が支援体制を組む。無尽ふうに、候補を立てるようになるだろう。‥→政治結社、民間結社の活性化(トクビル)

3-4 参加型民主主義は、地方からこの国を変える
3-4-1 シームレスでオープンな議会さえできれば
職業議員が排除され、意欲の高い市民と議員による議会と、その議会が中心となる市民集会ができさえすればよい。何もかもがその中で動き始め、改良されていくだろう。その過程で主体的な市民も輩出されていくことになる。討論型民主主義などは自然発生し、行政も含め的確な政策立案や合意形成、議会のチェック機能の充実などが図られるようになるだろう。
    市民の英知が解発され、高度な共有知に高まるシステムが動き出せば、民主主義は最良の状態になる。
   ‥→内部に自立した頭とエンジンのあるプランでないと、形骸化する。

3-4-2 言葉による意思表示の時代
欧米で育った議会制民主主義は、議論による合意形成を前提としている。議会が言論の府といわれるゆえんだ。しかし、長幼の序や以心伝心で和する村風土にあって、日本の自治体議会は議論を徹底できず、和合する村社会に陥ってしまった。そして、時代は有言実行の時代へと変わった。大量生産による高度経済成長期までの、組織に優秀な歯車が求められる時代にはそれでよかった。しかし今は、企画提案・合意形成・実行に至る全人的能力が求められる時代である。また、多様な価値が併存する今日、人は誰も言葉による明確な意思表明を求めている。この時代に、やっと「市民革命」が起きようとしている。参加型民主主義は、真の民主主義を実現し、主体者を育てる。その波は、地方全土から短期にこの国を変える可能性を持っている。

3-4-3議会は言論の府 ‥参加型議会は、主体的人間形成の場
-1 議論を仕掛けるには、自身の理論構築のため、調査研究と論にまとめ上げる力が必要
-2 それをより高次な論理に高め、賛同者を獲得するために議論を仕掛ける。
-3 発題者は当初の論に拘泥するのでなく、議論によって育った論を共有できることを喜ぶ。
-4 議論は、それぞれの知識の幅や深さ、議論力、性格まで現れるため、人格形成の場ともなる。
-5 そのためにも、日々多方面の学習や研鑽が必要になる。
-6 議論を精査し、齟齬をなくし、深め、高める技術力を参加者全員が体得していくことになる。
-7 高度な議論となる技術の導入
 村社会に浸かっていると、議論の能力は抑制され、既に持っている能力も失われていく。
我が国の場合、議論は感情論から人格問題につながってしまうことが多く、意図的に避ける傾向があった。それに代わる工夫が根回しや談合だった。これを避けるため、市民参加と共に、議論の技術の積極的な活用による議論のシステム化・ゲーム化を即取り入れる必要がある。

3-4-4 地方からこの国を変える
 身近な議会活動、論議の場への市民の参加によって、市民がシチズンに育つ。それは、ほぼ同時並行的に自治会・NPO・政治家・支援団体・教育界・マスコミ等の主体性が覚醒されていくことを意味する。
有権者以上の政府は作れないという。その、実現可能な最高レベルの議会制民主主義と市民社会ができる可能性がある。地方自治を強めることは、国民一人ひとりの内から、我が国の民主主義、政治力、ひいては国力を高めることになる。
それを可能性で終わらせると、この国は漂流を続け、間もなく没することにならないか。


4.地方議会 すぐ下のマグマだまり
議員の入れ替わりや世代交代はあるが、新人議員のほとんどは議員村に引き込まれてしまい、今日まで議員村が変わらず存続してきた。これは、驚嘆に値するものすごいことである。そして、村の一歩外は先の見えない闇夜の嵐の真っただ中である。
それなりに景気がいいとき市民は、議員のことも選挙のときくらいしか意識に登らず、そんな議員村など知る由もなかった。しかし時代は変わった。市民は、自分たち家族や知人が直面する問題が、自分たちだけでなく社会に関わる問題と気がついたとき、今の議会は何をしているのかといぶかり、今の議員より自分たちの方がましな議員になれるかもしれないと思う市民が一気に増えている。この重苦しい社会状況にあって、今後もこの議員村がないと困ると思う市民は、一体どれほどいるのだろうか。
議員は選挙時の熱弁や気概を忘れ、次の選挙までの春を楽しんでいる。それが、傾きつつある市民丸の艦橋世界だとすると、あること自体が害悪である。

4-1 不満を持つ新しい市民とレジュームチェンジ
いま地域社会には、65歳に達する団塊世代を先頭に、新しい世代が登場しつつある。これは、義理人情はじめ、長幼の序といった伝統的共同社会の価値観を強く残す世代と、自由平等観に基づく団塊世代以降の都市型世代への交代という、歴史的転換期の最終局面を意味する。経済社会は、情報化や国際化、雇用形態の流動化などと時代は90年代当初に変わっているが、長く保守的だった地域社会も、ここに来てようやく変わり始めた。

自治会は従来長老支配が続いてきたが、戦前世代は、顕著に退出し始めている。そこには、今までの世代が作り継続してきたやり方は自分たちで終わり、まったく新しい時代に変わっていくという割り切り感がある。長老として仕切っていく思いは見られない。地域は、それほど明確な世代交代期にある。それは、多くの議員の支持基盤である地域の変質を意味している。長幼の序とか集団主義的文化が強く、自己改革力の弱い地方議会・教育機関・自治会などが最後に残されていたのだが、それもまもなく変わるだろう(*4)。

様々なことが国家や国民、企業といった集団的枠組みで語られてきた高度経済成長や物質的豊かさ追求の時代が終わり、そのような思考や文化に関心を示さない人たちが40代にさしかかっている。自由・平等から人権、個の尊厳など、個々の市民の暮らしや心の充実を求める多様な時代に移ってきた。それは市民が、拠り所としての国家や民族・企業・さらには家庭さえも失ってきたともいえる。頼るものが失われ、社会の方向性が見えない時代にあって、一層深刻な孤独感や不安・不満を抱いている市民が増え続けている。
そのような市民は、自分たちの思いを政策に高める務めを果たすべき議会が、安穏な議員村を演じていることに憤りを高めている。

地方議会にもようやく本格的な変革の時期が来たようである。しかし議員村は、内部からの変革を防止する工夫の産物でもあり、議会からの変革は考えにくい。今日の日本で、市民革命に準じた市民の立ち上がりをイメージすることが、そう突飛なことではないだろう。

世 代 間 比 較
【団塊前世代】 【団塊以後世代】
現在65歳以上の世代。特に地方においては、昭和前期までの保守的な生活文化を継承してきた。高度経済成長期まで、地方の有力者に残っていた保守的な考えや様式を色濃く受け継いでいる。旧来の地域との関係が強い世代という特徴が見られる。 この世代は、自由・平等思想や経済成長の中で育ち、大都市の大学に進み、都市型企業の就業経験も豊富。広い視野を持つ。
・目上を立て、和を保つ価値世代・組織の忠実な歯車
・安定した職場・家庭・教育環境





・地域中心の暮らし
・集団主義・大勢順応型
‥→従来の自治会、議会秩序の継承者:住民 ・団塊世代より15年後に生まれた世代以降は、古い慣習を背負っていない。
・モーレツ社員、単身赴任、転勤、転職、リストラまで多様な経験をした世代
・単身赴任・家庭崩壊・教育崩壊・パラサイト・未婚、非婚まで体験
・コンピューター、インターネットによる情報力
・都市生活、大企業勤務など多様なキャリア
・臨機応変な柔軟性、論理性・個人主義
‥→合理的発想者:市民


4-2 マグマだまりを覗く
4-2-1 改革派首長の台頭
議会への不満も、強い市長を求める力になる。マスコミを見ていると、改革派首長に対し、議員たちはつるんで感情的に対立することが多い。その議会が、市民には向上心がなくただ既得権やメンツにしがみつく抵抗勢力に見えることが多い。
マニュフェストを掲げた首長選挙に比べ、議員選挙及びその後の議会活動は歯がゆい。メリハリのある形で見えてこない。
 【田中康夫 元長野県知事 竹原真一 元阿久根市長 河村たかし名古屋市長 橋下徹大阪市長他】

4-2-2 直面する生活問題・社会問題の深刻化
 ‥議会に政策論議を深めてほしいが、今の議会に任せられるか
  雇用・産業   : 派遣労働 失業 雇用問題 商店・企業の閉鎖 
教育・子育て  : 子供の登校拒否・いじめ問題・生きる力を失わせる教育
  健康・福祉   : 医療・福祉への不安 独居老人 買い物弱者 
都市の空洞化  : 人口減少 空家・空地 
  地方分権・道州制: 議会強化が必要といわれている

4-2-3 議会と市民間の垣根の低下 
-1 90年代頃から、自治体の市民対応がよくなり、腰が低くなった。
-2 団塊世代に始まる高学歴化と情報化に伴い、住民というより市民的な思考が一般化した。自分の考えに自信を持つ市民が形成され、もの言う市民が増えた。
-3 情報の多様化‥革新派首長と議会の対立のニュースや政治番組等で不信感が増幅し、議会イメージが低下した。
-4 マスコミの影響が大きいが、市民は四方山話などで当たり前に議員や議会を批判するため、批判的気分が広がった。
-5 市民の多様な要望に、議員村の思考が追いついていない。そのため、市民の不信が高まり、お上的幻想と期待感が減った。
-6 生活が厳しい市民にとって、税金で生きる議員たちが、自分たちより楽をしてうまいことをやっているように見える。(それは妬みレベルでも、わだかまるとパワーになる。)


5.実現に向けて
5-1 社会活動
5-1-1 取り組みの第一段階
・ 議員村と市民の鬱憤、妬み(ルサンチマン)を意識に上らせ、市民と今日的状況を共有
する
・ 濡れ落ち葉議員の退出と市民の立ちあがるエネルギーに火をつける
5-1-2 取り組みの第二段階 火が乏らないうちに、活動を継続、深化、強化
 -1 市民塾 (学習活動)
公開の例会と啓発イベント(アンケート、インタビュー、公開フォーラム、模擬市民集会、辻立ち/立て看、ポスター、チラシ、ネット、マスコミの活用)
-2 地域政党(政治活動)
 党のマニュフェストを掲げて選挙。過半の議員を獲得し議決へ
ネット・マスコミを活用に、遼遠の火を放つ
 ・ 候補者の同級生・OB会・NPO仲間等がネットでつるんで支援活動、引き続き当選後
  も
 ・ 地方、国に参加型民主主義が定着するまでの活動
5-2 マニュフェスト等  
5-2-1 マニュフェスト
・ 行政と適度な緊張感を保つ議会 ときに対立もやむなし
・ 日常的生活の場といったオープン議会
・ 市民大学塾の創設 
5-2-2 政策提言等
 ・ 職員採用面接の公開 ‥議員の口利きの防止策

5-3 主たる参加者
・ 有意な市民で立ち上がる主体は、年金世代が中心。前期高齢者の年金世代は時間と知識経験、お金がある。特に生活費に困らない世代。社会参加意欲は旺盛。少子高齢化時代は、やはり団塊世代が切り開くべき。そうでないと、自分たちが10年後に割を食うから真剣。そして、やるほど皆に感謝される。産業も育つ。
    子供や孫世代に、フリーターや登校拒否児童もいる。その経験や知識もあり、多方面に貢献できる。 
   ・ そこにいかに現役世代を巻き込むか。生活が確かな勤労世代。共稼ぎ。参加できる範囲で議員または参加者に。低賃金・有期雇用といった、結婚も困難な若者の場合、議会への参加くらいが限界か。←多様なサポーターシステム


6 終りに
6-1 言わんとすることの超要約
「職業議員の廃止」と「市民参加」による「参加型・議会制民主主義」へ

わが国においては、「地方自治が民主主義の最悪の学校」になっている。このままでは、市民から国家まで主体性を獲得できない。この国は再浮上できない。
市民の不満は最高度に高まっている。今が、市民が立ち上がる条件は熟し、最高にして最後のタイミングにある。

今の議会が、形骸化・村社会化した本元の原因は、市民から議会を囲い込んだことと、議員たちの議員職へのしがみつきにある。結果として議会の権威化も理解できる。
そこで、望ましい議会に新生する最も主要なポイントは、以下の2点となる。
1)議員に生活費の支給をやめること
2)日常的生活感覚で市民が参加できる議会に変えること
他は、これを実現するための各論であるが、それぞれのまちが答えを見つけ、手作りしていけばよい。それが、「地方自治は民主主義の最良の学校」の第一歩となる。

6-2 欧米先進国に見る「地方自治は、民主主義の最高の学校」の成果
◇ 顔見知りの地域共同体(地域大家族制度)ボランティア議員 パブで3人オープン議会 
◇ 安息日は全員教会へ 多様なサークルや学びの会 ボランティア活動   
 ◇ その成果 : 今も誇り高き大国、誇り高き国民
 ◇ 地方議会に職業議員のいない欧米先進国はすべて、尊厳を感じさせる国家。毎年首相や大臣が変わるような国はない。
 ◇ 大統領制をひき、軍隊を持てばいいのではない。その前に、「民主主義の最高の学校」を作るべきである。

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*1 議員村
 ・ 議会の常識は、市民の非常識 ‥議会基本条例
 ・ 選挙公報≒選挙公約 当選後は、その実現を期さない。期せば議員等に疎んじられる。
 ・ 同僚議員や行政に、議論を仕掛けず、穏和な関係を保つ
・ 本会議等に見られる形式主義は、国会の議場の真似と自由な論議を避ける工夫の積み上げ
・ それらが慣習となり、踏襲されてきた
・ 議員の資質の優劣が現れないよう、皆が配慮しあっている
・ 合議制であり、個々の議員が目立つのはまずい。出る釘は打たれる

*2 自治体と政策 2009 p41参照
*3 分権時代の地方議会改革(2008.7東京財団政策研究p84)参照
*4 自治会の世代交代
① 従来は、長老(75歳以上)と追従世代(65~74歳)の強い結束で仕切ってきたが、 
② 長老世代の子供たち(兼業農家)が50代になってきたことと、自身の高齢化で長老世代が退出
③ 長老に従ってきた後続世代(追従世代)は、長老たちが繋いできた伝統的共同体、地縁血縁的組織運営が困難になってきたこと、長老追従世代の自立と責任が求められるため、自分たちよりも若い人たちに受け入れられる運営を目指すようになる。
  そこでは、従来の役員やしきたりにあまり気を遣わなくてもいい雰囲気に、団塊世代はじめ若い世代が、率直にものを言い始めている。
④ 自由にものが言えると知ったとき、一気に新しいやり方に変わる。それは基本的に、個人の自由な意見が通る形であり、自治会等のしきたりや決まりによる押しつけのような形ではない。
⑤ 地域住民体質が、新しい住民の転入や世代交代により、市民体質へ
 住民体質‥顔の見える隣組や自治会役員、自治会活動に気づかいながら行動する。
 市民体質‥地域にウェットな気遣いはしない。個人の価値観で行動する。

‥→自治会、地方議員選挙活動の転換 
・ 地域代表としての議員の位置づけが困難に
・ 議員定数減により、地域を越えて票を獲得する必要が生じた
 地域のインフラ整備等が不十分だった時代には、従来のお上的な議会に地域選出議員を出しておくことは、地域に根を張った役員にとって大事な仕事だった。
今後、議員の大幅増により、また市民参加のオープン化議会となれば、地域選出議員の存在意義が曖昧になる。

~ 農協青年部OB的地元人間の結束と阿吽の呼吸 出納簿による会計
 粗雑な文書管理 男性優位 地縁血縁社会 同姓の付き合い 無尽 講仲間 ~
従来、町会長はAとBの常会からだけ出していたが、これからは、すべての常会の中から、場合によっては回り順で。護国神社の奉賛金、自衛隊協力費、神社の行事、地元からの議員立候補者と町会の対応等。声の大きかった長老連は、一期の高齢化が進み、後継者はおとなしい若者。父親が、地元で重鎮として頑張った分、出場所がなかったこともある。
総会で率直な質問が出始め、それらが世代交代を促進している。

◇ その他、主な参考文献
「海賊の経済学」 ピーター・T・リーソン 
「フリーライダー」  河合太介 渡部幹
「集合行為論 公共財と集団理論」 マンサー・オルソン 
「地方議会改革マニュフェスト」 日経グローカル編
「アメリカの地方自治」  小滝敏之
「トクヴィル 平等と不平等の理論家」 宇野重規 
「パリッシュに見る自治の機能」 竹下譲